VOL 1499 2008.5.27
テクストの読みに対するフランスの思想家・文芸評論家バルトの見解はこうだ。
【テクストの快楽】
バルトが提示する「テクスト」の読みとは、その主題や内容といった唯一の意味を求める閉じられた営みではなく、完結することのない<遊戯>=生産行為である。つまり、読む側が表現そのものに参加し、多様な意味ないし意味の不在を見出す言語活動、あるいはその方法論的な場といえる。そしてそれは、言語を操りながら言語に拘束されて生きている私たちが、「言語の外にしかいない」自由を手にするための、言語により言語を転倒させる試みである。
(『現代思想の冒険者たち』講談社)
この観点から桃太郎を見ると、桃太郎=正義・・・も、はなはな怪しくなってくる。
あいまいな風潮に立脚し、なんの調査や対話も無く一方的に鬼を攻撃する桃太郎って一体なんなんだ!?
しかし、五味太郎の『ももたろう』(絵本館 2007)は、目からウロコ!
サッカーの試合や鬼ごっこで決着をつけ、いろいろな鬼が島に行く。
「行ってみなければわかりません」
「会ってみなければわかりません」
「行ってみればわかります」
「会ってみればわかります」
そして、鬼たちと大騒ぎで楽しくやるんです。
これ、まさしく「対話の精神」。ぜひ一読を!
(続く)