VOL 1521 2009.06.05
対話による見極め―テクストを超えるために(3)
PARAT 2 桃太郎ってどんな子?―桃太郎(おとぎ話)見極める
「桃太郎ってどんな子ども?」
「正義感の強い子ども」
「元気な子!」
「悪い鬼をやっつけた子」
子ども達の桃太郎像をシンキングマップにしていく
※ シンキングマップとは、トニー・ブザンというイギリス人が考案した思考法。中央にテーマを書き、その周囲にテーマから連想したものをどんどん書き込んでいく。フィンランドの小学校では、小学校4年生までにこの訓練を徹底的に行う。
桃太郎に関しては、定型的な理解が多い。
「誰か、桃太郎のお話をしてよ」
昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいましたそして桃が流れてきて男の子が生まれる。悪い鬼を征伐に行く。と、まあこんなところ・・・。
「ところで鬼ってどんな悪いことしたの?」
「桃太郎は、鬼が悪いことしたのを実際に見たの?」
この辺のことが話の中でもあいまい・・・。小さいときにしてもらった桃太郎のお話、OBじゅん君の聴いたお話では、「村の娘をさらっていった」ということだ。
「桃太郎って一方的に攻め込んでいくんだよね」
「話し合いも無しか」
テクストを完結したものとして読むのではなく、テクストの多様な意味や意味の不在を見出す言語活動が必要だ。いろいろな桃太郎を読んでみたが、1冊を除いては鬼を征伐してめでたしめでたし・・・。
テクストの読みに対するフランスの思想家・文芸評論家バルトの見解はこうだ。
【テクストの快楽】
バルトが提示する「テクスト」の読みとは、その主題や内容といった唯一の意味を求める閉じられた営みではなく、完結することのない<遊戯>=生産行為である。つまり、読む側が表現そのものに参加し、多様な意味ないし意味の不在を見出す言語活動、あるいはその方法論的な場といえる。そしてそれは、言語を操りながら言語に拘束されて生きている私たちが、「言語の外にしかいない」自由を手にするための、言語により言語を転倒させる試みである。
(『現代思想の冒険者たち』講談社)
この観点から桃太郎を見ると、桃太郎=正義・・・も、はなはだ怪しくなってくる。
あいまいな風潮に立脚し、なんの調査や対話も無く一方的に鬼を攻撃する桃太郎って一体なんなんだ!?
しかし、例外もある。五味太郎の『ももたろう』(絵本館 2007)は、目からウロコ!
サッカーの試合や鬼ごっこで決着をつけ、いろいろな鬼が島に行く。
「行ってみなければわかりません」
「会ってみなければわかりません」
「行ってみればわかります」
「会ってみればわかります」
そして、鬼たちと大騒ぎで楽しくやるんです。これ、まさしく<対話の精神>。ぜひ一読を!
このようにテクストを閉じられたものとして読み解くのではなく、多様な意味を見出していく行為、つまり見極め・吟味が重要だということがおわかりだろう。これは、対話によって獲得される。
(PART3に続く)