NO 1535 [優しい光があるような・・・―フラジャイルへの視線]2009.09・14
※ ブログのナンバリングを間違えていました。今日から修正いたしました。
『公評』という月刊誌がある。20代の頃から、年に3~4本、通算30年以上原稿を書いている。今月も原稿を依頼され、昨日、USBメモリーに入れていたデータから原稿を書こうとパソコンを立ち上げたら・・・。なんと!全く保存されていないではないか!そういうわけで、本日、始発電車でスペースに来て、データを掘り起こし、何とか原稿を書きました。こんなこと初めてなので、あせりました。
その原稿をアップします。数日前に書いた文章と重複するものもありますが、ご勘弁あれ・・・。
優しい光があるような・・・―フラジャイルへの視線
木幡 寛(フリースクールジャパンフレネ代表)
「『弱さ』を『強さ』からの一方的な縮退だとか、尻尾をまいた敗走だとは思っていない。むしろ、弱々しいことそれ自体の中に、なにか格別な、とうてい無視しがたい消息が隠れていると思っている。」
「『弱さ』は強靭な社会的烙印として機能してはじめて、人々を一挙に襲う。」
「『弱さ』は『強さ』の欠如ではない。『弱さ』というそれ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象である。部分でしかなく、引きちぎられた断片でしかないようなのに、ときに全体をおびやかし、総体に抵抗する透明な微細力をもっているのである。」
『フラジャイル―弱さからの出発』松岡正剛(筑摩書房)より
※ フラジャイル
「はかなさ、うつろいやすさ、もろさ...。そして異質性や異端性」などの意味がある
プロローグ―学校に戻ったA君
「次は、大泉学園!大泉学園!お降りの方は、お忘れ物のないようにお降り下さい」
小学生A君の声がジャパンフレネのスペースにこだまする。
電車やバスが大好き。バスは運転士の後ろに陣取り、運転士さんとお友達になる。
「木幡先生、おはようございます!昨日は、お父さんと公園に行って遊んできました」
とても丁寧な言葉でお話をする。
しかし、学校での生活や学習は、うまくいかない。他の子ども達と同じペースで学習が進まない。嫌な事には、なかなか取り組めない。担任教師に叱責される。
「どうしてあなたは他の子ども達と同じようにお勉強できないの!嫌な事もやらなきゃだめよ!」
A君は努力した。彼にとって膨大な量の宿題をお母さんと一緒にこなした。夜遅くまで、国語教科書の本読み・・・。しかし、彼の努力も限界に来る。
「おなかが痛いよ・・・。学校に行きたくないよ・・・」
A君は、アスペルガー症候群と言われている。周りと同じペースで学習できない。得意不得意のギャップが大きい。コミュニケーションがうまくいかない場合もある。
そんなA君、ジャパンフレネに入会し、みるみる元気になっていく。
お散歩の授業で博物館やハイキングに・・・。お料理の授業では親子丼つくりを手伝う。午前の基礎学習は時々渋ることもあったが、自分のリズム・ペースで少しずつ学びのスタイルを作っていった。
そして10ヵ月後のある日、突然!
「ぼく、学校に行ってみる・・・」
学校に戻ることが必ずしも良いとは限らないが、彼に学校に戻る元気を与えたのは、一体何だったのだろう?
マイペースでの基礎学習、年齢を超えた縦割りの生活(昔の子ども社会)、お料理やお散歩での体験、ボランティアの大学生との交流・・・、いろいろなことが考えられる。
しかし、一番大切なことは、アスペルガー症候群も含め発達傷害と言われる子ども達に対する、大人のまなざしだ。特殊な子どもとして他者と分断して関わるのではなく、障害を個性としてとらえ、共生していく深いまなざしだ。
PARAT 1 発達障害というフラジャイル
「昔の俺を思い出すなあ・・・」
A君の世話をあれこれみてくれたT君がぽつりとつぶやく・・・。彼もアスペルガー症候群と診断され、学校の中では担任教師との折り合いが悪く、小学校2年生のときにジャパンフレネに入会してきた。
A君同様、電車やバスが大好き。バス乗車の際は、必ず最前列の席に陣取った。
後片付けが苦手。整理整頓がうまくできない。そして学習のペースやリズムが周りと一緒に行かない。そんな弱点もあったが、少しずつ成長していった。
彼の母親の偉いところは、そんな彼に診断名をきっぱりと告げ、こう言い切ったことだ。「あなたはうまく出来ないところが幾つかあるけれど、それは仕方ないの。周りの人にそれを理解してもらい、うまくコミュニケーションをとりなさい」
そして彼も「ぼくはアスペルガーでうまくいかないところがたくさんあるけれど、わざとじゃないからね。まずいことをやったら教えてね」と、周りの理解を意識的に求めていった。主張すべきことは、きちんと主張していった。
彼が小学生のとき、こんなことがあった。
毎週火曜日のミーティング...、あれこれ議事進行して、「他に何かありませんか
あ?」
「K君、ひとのことを『あれ』とか『これ』とかいうのは、よくないと思う」と、T君。
実は、司会のK君、議事進行中にぼくに対し、「これ」と指差したことをちゃんと見ていたのだ(もちろんぼくは、その場で注意したが)。反面教師として、ちゃんと見ているなあ。
「T君、他にないの?」木幡が促す。
「あとね、K君とかG君、ぼくをベランダに閉じ込めないで」
ううん、これに関してもその通りなので、なんら反論の余地なし(これもその現場を木幡に押さえられ、注意を受けていた)。ベランダの閉じこめは危険極まりない。「絶対禁止!」と、木幡がプッシュ。命に関わることは絶対に妥協しない。
実は、ミーティングの前にT君ママから電話があった。
「『いやなことがあった』って言うんです」
それがベランダ事件。
「お母さんが木幡さんに言ってあげようかって言ったんですが、なにやら手紙を書いて『自分で言う』そうなんです。もし、ミーティングで話す機会がありましたら、よろしくお願いします」
きちんとミーティングで話すことができた。いやなことは黙っていてはいけない。フレネは、自分をちゃんと主張できる場なんだよ。
でもなかなか修正が効かない面もある。T君が中学生になってからの出来事だ。
お散歩の授業での一コマ。御嶽→日の出山→つるつる温泉へのハイキング。御嶽からケーブルカーの乗り場までバスで移動。
中学生なのに「小学生1枚」と言い乗ろうとする。それを観ていた中一のT君、(実は彼も小学生料金で乗っていたにもかかわらず)、
「えっ、君、中学生でしょ。中二でしょ」
他者と自己に同じ問題が存在するという認知がうまくいかない。
下車後、木幡から大目玉!
「せこいまねするな!そんなことで儲かったと思ったら大間違い。そんなせこい運を使ったら、大きい運が逃げていくんだぞ(ちょっと変なしかり方だなあ)。ちゃんと正規の料金、払えよな!」
せこかった3名、「すみませんでした...」
運転士さんに謝り、不足料金は、木幡が立て替えました。
A君にかつての彼をタイアップさせ、いろいろ面倒をみてくれたT君・・・、7年在籍していたジャパンフレネを卒業し、今、高校進学を目指している。
● 閑話休題―にんまりTちゃん
「ねえ、木幡さん!見て見て!これおもしろいよ」
少年チャンピオンを見ていたりょうちゃん。覗きこむと、ちょっとエロっぽいマンガ。
水着の女の子のはみ出しそうなおっぱいとおしり...、そんな感じ。
「これってエロマンガになるの」
「こんなのエロマンガじゃないよ」上級生が笑う。
「このマンガ、ここからは面白くないんだよねえ」
りょうちゃんが指差したところから、ヌードがない。みんな、大爆笑!
「お家に持って帰って静かに読もおっと」
お母さんに見つかると叱られるからだそうです。その気持ち、わかるなあ。
PARAT 2 定時制発フラジャイル
以前、何度か定時制高校で講演したことがある。埼玉県立鴻巣高校定時制での講演の様子を振り返ってみよう。ぼくの講演は、授業を交えながらおこなうのがほとんどだ。具体物を提示しながら話をしないとイメージにならないからだ。
定時制は構成年齢が多様。今回は1 5 歳から6 2 歳までの約6 0名。真剣に話しを聞こうとしている者、死んだようにうつぶしている者、はなからこちらを無視してマンガを読むか私語に徹する者...、大体この3 グループに分かれる。
こちらを無視するツッパリ組みの連中が楽しい。プライドが高く、ひとなつっこい連中が多い。指名したり、その輪の中に入っていって話しをすると、こちらのペースに乗ってくれる。そうこうするうちに、死んでいた連中もむっくり起き上がり、ぼくの出した問題を一人ぶつぶつ言いながら考え出す。
考えるにたる問いかけをしなければいけないのはもちろんだ。1 時間の講演では短すぎる。2 時間、あるいは連続講座で呼んでくれるのが一番いい。
1 時間の講演の中でも生徒の中に明らかな変容が見られる。
「全日制でも定時制でも、自分のあったところで学べばいいんだよ。人それぞれみんな違う。相手が自分と違ってうざったいと切れる必要なんてないんだよ。そもそも、相手が周りが自分と違う、分かり合えないのが当たり前。だから、それぞれの違いを出して擦りあわせをしていくんだ。」
「その中で自分の考えが変わってもいいじゃないか。それも良しとしていく中でお互い変わりあえるんだ。そのためには人の話しをきちんと聞けて、自分を表現できなきゃいけないね。学校はそのための母国語能力を身につけたり、相手が何を考えているのかを構造的にとらえる力を獲得していく場所なんだよ。」
授業しながらこんな話しをすると、マンガを追っていた目がこちらを向き、うつぶせの身体がおきてくる。やがて、うなずきが起こり、表情が赤ちゃんのようにあどけなく放心状態になってくる。
『お茶の缶の底に穴を多数開けると、お茶はこぼれるか?』という問題で、生徒に実験台になってもらった。寝転んでもらい、大きく開けた口の上で缶に穴を開ける。
ぽたぽたとしずくがおち、生徒の顔をぬらす。
お茶にぬれた顔で「たまんないっすよ」と笑っていた生徒。それを見て私語を止め、彼なりに自分の意見を言おうとしていた生徒...。みんな本当は学びたがっているんだよね。
夜の7 時半過ぎから始まった講演...、鴻巣の夜はしんしんとふけゆく... 。
※ 『若者たち―夜間定時制高校から視えるニッポン』 瀬川正仁著(バジリコ)
学業成績で序列化された日本の教育システムでは「底部」にある定時制高校。
著者は、そこに通う生徒たちの背景を知りたくて、首都圏の定時制高校に取材に通う。
自傷行為を繰り返す元トップアスリートの少女。両親から捨てられ、つらい日常をシンナーで紛らわしながら生きてきた過呼吸の少女。夫のDVDに長年苦しみ、おのおのの問題を抱えながらも親子で通う母と息子。
著者は取材を始める際に、ある教師から「(定時制では)日本の若者たちに何が起こっているのか、その最先端が見える」と言われたというが、本書の内容そのものが、この言葉に凝縮されている。
(朝日新聞書評 2009/09/13)
PARAT 3 フラジャイルを結ぶもの
娘の美沙は1 6 歳。心臓疾患のあるダウン症です。障害を含め、自分に与えられたものをあるがままに受け入れ、その中で楽しみを見つけて生きている。自分自身・周囲の人・自然、それらを認め尊重し合い共に生きる事の素晴らしさを私に教えてくれている。
そんな美沙が1 0 歳前後のころに書いた詩や絵をまとめて「美沙のポエム」という本を、昨年7月に作りました。表紙の色と紙質は美沙が選びました。そして仔細あってドイツ語訳付きです。<私はドイツ語全くわかりません>
※ 「美沙のポエム」発売「星雲社」著者「鶴 美沙」 定価1 3 0 0 円+消費税
色々な方が感動と生きる喜びを感じてくださいました。また、ドイツ語圏の「日本資料図書館」のある大学など1 5 ヶ所に贈呈したところ、心のこもったお手紙を戴きました。
ボン大学からは、学生さんの妹さんがダウン症でそのご家族にも差し上げたい、との嬉しいご依頼を戴き送りました。この子達が「世界を結ぶ架け橋にもなるようだ」とオーヴァーに喜んでいます。
その本がこの度「日本知的障害福祉連盟」の選書となり表紙とはまた趣の異なるカヴァーを付けて書店の文芸コーナーに並べました。もっとも無名人なので置いていない書店も多いのですが。人様との輪がさらに広がるのが楽しみです。本を通して一人でも多くの方に生きる喜びを感じて欲しい。ダウン症など障害を身近に感じて欲しい。そんな気持ちです。
また、本の売上は、美沙がお世話になっている各機関に寄付させて戴いています。「私」という窓口を通して皆様の心が繋がってなにかの役に立てたら素敵だな、とも思っています。
―美沙の母―
閉ざされた空間に押しやらされがちなフラジャイル・・・。必要なのは隔離されて
特別支援を受けるのではなく、人それぞれのネットワークの接点でどのような対話ができるかだ。
久しぶりに美沙ちゃんのお母さんと話しをした。
「美沙のような子どもは、つらいことがあってもそれを人に伝えることがなかなかできないのですよ。それを先生たちがおもんばかってくれればいいのですが、なかなかわかってくれないですよね」
美沙ちゃんは、今、23歳・・・。最近は身体が思うように動かせず、家出じっとしていることが多いという。ぼくに何ができるかを自問し、幸あらんことを祈る・・・。
エピローグ 夏の終わりに―てっちやんの思い出
ジャパンフレネには、最近、発達障害といわれている子ども達の保護者からの問い合わせが多くなってきている。そういえば、今から10年前、まだ発達障害が世間に認知される以前、こういうことがあった。
この夏、夏季講習を行った。夏季講習は完全なマンツーマン授業。8月の終わりに小学1年生のてっちやんがやってきた。学校では、周りの子ども達とうまく行かない、学習も遅れているとのこと・・・。(今考えると、軽度発達障害のグレーゾーンだったかもしれない)
学校で体験できない授業ということで、算数のゲームをしたり、漢字遊びをしたり...。そんなある日のこと、ふたりで"しりとり"をやった。あれこれ考え、シンプルだが楽しい!
くすり→りす→すいか→......わし→しまうま→まんと
ここでぼくの番。(よし!引き続き"と"で終わるようにしよう。ここは"とまと"だ)と心の中で思っていたのだが...、書いた文字は...、なあんと"とまん"!
「あー!ぼくの勝ち!"ん" で終わった!」とてっちやん、大喜び。
「いけねー!"とまと"って書くつもりだったのに-!なんで"とまん"なんて書いちゃうんだ-!」
見ていたてっちやんのお母さん、大爆笑!
[ 敗因分析]
(1)"とまと"と書こうと思っていた。
(2)同時に"ん"でおわっちや行けないという意識があった。
(3)(1)と(2)がごちやまぜになり、とま...ここまで書いて"ん"の意識が頭をもたげ、一気に"ん"が出て、 "と ま ん"となった。
この日で夏季講習は終了...、しかしこの後、意外な展開が...。
さて、夏季講習も終了し、9月新学期が始まってからの数日後、「こうなると予想はしてたんですけど...」てっちやんのお母さんが,次のような事を話してくれた。
9月1日始業の日、家の玄関でてっちやんが、突然立ち往生してしまった。
「木幡先生のところに行く- !」
どうなだめすかしてもだめで、お母さんとっても困ってしまったそうだ。普段はきちんと学校に行っている彼の中で何が起こったのかはわからない。
学校とフリースクール、それぞれ人が関わりそれぞれ、授業も行われているのだが... 。
ぼくはてっちやんのお母さんに、次のようなメールを送った。
今年は全く夏休みが無く、今日も朝6時半には新宿に来て仕事をしているという「女工哀史」のような生活です。 そんな中でてっちやんとの4日間は、実に楽しいひとと
きでした。 彼にとって楽しい事は、まさに彼の"生"に根ざしているのだと感じました。 そして「彼にとって楽しい事は,ぼくにとっても楽しい事なのだ」という25年前の感覚...,
そう!教師になったばかりの時のあの感覚を思い出しました。
大切な感覚を思い出させてくれた事に、とても感謝しています。子どもから学ぶということはこういうことだとあらためて思いました。
そうですか・・・。ぼくの所に行くといって立ち往生した話をお聞きし、泣けてしまいました。教師としてとてもありがたいことです。でも、学校に行けるうちは行ったほうがいいと思います。つらいこともあるでしょうが、どうか彼のそのままを受け入れてあげてください。学校は必ずしも行かねばならない場所ではありませんから・・・。
一番の思い出は、やはり「とまん」です。 しりとりで「とまん」なんて言うとは、夢にも思いませんでした。 完全にぼくの負けです。
写真ができたらお送りいたします。お困りの時はいつでもご連絡してくださいね!
そうじゃなくても、遊びに来てくださいね! いつでもどこでも応援しています。 では!
今、てっちやんはどうしているだろう?元気に学校に通っているだろうか?
外の陽射しはまだ強い...。
A君やてっちゃんののような子ども達は、たくさんいる。求められているのは、大人の深いまなざしだ。
『優しい光があるような・・・』
フリースクールジャパンフレネは、そういう場所でありたい・・・。