NO 1548 カレーを作れる子は・・・ 2009.10.22
教育問題の取材に引き続き、今度は、お料理関係の取材を受けることになった。子どもがお料理することにより、どのような力が獲得されるかが一つのテーマらしい。このことに関しては、手前味噌だが拙著『カレーを作れる子は算数もできる』(講談社現代新書 2006)に詳しい。
知己を得ている秋山仁さんの著書からヒント得て執筆したのだが、「料理の本を見て、作ったことのない料理を作ることができる」ということは、食材を準備する段階から調理に到る過程までの全工程(構造)を把握することにつながる。また、食材や調味料の量を考えることにより、量的感覚を養うことにもなる・・・、などなど。
ただ、ここに一つの問題がある。昨日の『おーい、仲間たち』にも書いたが、お料理のレシピを読んでお料理を作る以前に『卵を割ることができる』、『包丁を使いこなすことできる』などの経験則の問題だ。今の子ども達は、この手の訓練や練習が全く足りない。卵を割ろうとするが、殻と中身を一緒に握りつぶす。包丁も含め刃物の扱いが全くできない子が多い。これをどう解決するか?
幼児が「お手伝いしたい!お料理したい!卵をまぜまぜしたい!」と言った時、さほど危険が無い限り積極的に関わらせることが望ましい。やってみたいという欲求ややらねばならない必然的理由が無い限り、子どもの身体は、動かない。ぼくが小学校3年生の時、りんごの皮を向けない事実に愕然とし家で何度もりんごの皮むきを練習した記憶がある。
学校では授業としての家庭科があるが、どうしても一人の教師→多数の児童への伝達に終始することが多い。就学以前にお料理も含め、お掃除や洗濯など、見よう見まねで技を体得するする時期がどうしても必要だ。これを認知科学(人はどのようにして賢くなるかをデータや具体例をベースに科学的に分析する学問)では『正統的周辺参加論』と言う。大工や料理人の世界の徒弟制度をイメージすればよい。大工の棟梁やシェフはあれこれ何度も手ほどきしてくれるわけではない。先輩の技や味をどう盗むのかか問われてくる。
サンパウロやリオデジャネイロのストリートチルドレンが生きていくために物売りをする場合、誰に教わったわけではないのに幾らで仕入れ幾らで売れば、もうけはこれぐらいということが計算できるというデータもある。
親はおいしい料理をきちんと手作りし、お料理への動機付けをしなくてはならない。全ては、そこからスタートする。料理を作らない・作れない親からは、料理に関心を持つ子どもは生まれてこない。同時に、便利な道具(オートカッターや電動鉛筆削り)を与えるのではなく、肥後の守やマイ包丁を持たせることも必要だろう。
昨日のお料理やスタひできのブログを読んで、そんなことを感じた。