NO 1559 人生の贈りもの(2) 2009.01.21
さて、大阪府立大に進んだ藤本さん、安定した給料のため教職を目指し、教育実習に行く。しかし、教師が虎の巻(いわゆる教師用指導書、赤本)を見ながら授業する姿を2週間見て「教師になるということは、子どもをだますことやな」と絶望的になった。そして、教師になることをやめた。
長い間、教育に携わっていると、90パーセント、いやそれ以上の教師が教師用指導書そのままの授業をしていることがよくわかる。こういう状況の中、生き方は三つに分かれる。
※ 藤本さんのように教師に失望し教師になることを断念
※ 長いものに巻かれろとばかり、なあなあで教師をする
※ 教科書を脱する道を模索する
ぼくは小学校で教育実習をした時、算数主任から「教科書の内容と違う。指導順序も違う」と批判された。平行四辺形の求積・・・、当時の教科書は三角形→平行四辺形の流れになっていたが、長方形の求積を指導した後は、平行四辺形に進むのが自然だ。教材も工夫し、教科書は無視した。教育実習生の分際で、「いや、それは教科書のほうがおかしい」と授業研究会で大反論した。ぼくの教師としての原点の一つは、ここにある。以来、教科書どおりに授業したことは、一度もない。教材は、吟味し納得したもの、ぼく自身が楽しいと感じたものを自主制作。それが当然と思っていた。
昨今、教育実習間を1年にするとか教員免許の取得に6年などと叫ばれているが、授業そのものは、ポリシーとセンス(芸)の問題なので、これらはほとんど意味を成さないと思っている。秋山好古・真之兄弟の時代は、志さえあればだれでも教師になれた。教材研究はおろか、何を教えたらいいかわからない時代だが、心意気だけは教師にあったろう。心意気もセンスもない大多数の教師が指導書どおりで何の工夫もない授業を行う。学校に行きたくない子ども達の気持ちが、よくわかる。そして子ども達の不幸は、拡大再生産される・・・。