デイリーフレネ

NO 1591 『生命(いのち)』を想像→創造→送像・・・することの意味(2)

PARAT 1 想像+現実=創造― 8.11 石巻にて

 

 大震災当日、ぼくはジャパンフレネの子ども達と江ノ島遠足に行っていた。帰路、小田急線大和駅で大震災に遭遇する(この件に関しては、『公評』2011年5月号、およびジャパンフレネHP『おーい仲間たち』参照)。大和市の公的センターで子ども達と一晩明かしたのだが、どこで何が起こっているのか情報が全く入ってこなかった。明けて12日、ジャパンフレネに戻ってみると本棚は殆ど倒壊し、スペースを修復するのに数日かかった。

 

 喉もと過ぎれば熱さも忘れるの諺通り、大半の庶民にとって日常が再び始まると、大震災もその後の大津波もはたまた福島原発もニュースとしてはわかるが、頭上を素通りしていく。単なる同情やカンパという名の免罪符だけが生き残る。そして、挙句の果てはこうだ・・・。「ガンバレニッポン」「日本は大丈夫」。

 

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立ったまま小澤さんが話し始めたのは、三・一一以後この国のテレビCMをみたしている社会的な気分の表現に、方向付けを感じないか、ということです。

 おれたち戦中の子供がよく聞いた、ヨクサンという言葉があっただろう?(大政翼賛会の、辞書で引くなら「力をそえて、天子などをたすけること」だが、と私は若い人たちに注釈しました。自発的な協力態勢のようでいて、仕掛け人がいる) そう、「ガンバレニッポン」「日本は大丈夫」。(後略)

 

定義集)責任の取り方を見定める 沖縄の抵抗から学ぶ私たち 大江健三郎(朝日新聞 6/15

 

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 スローガンや掛け声に惑わされることなく、私達にできることは何かを考えてみなければならない。しかし、その前に重要なことは、今遠くにある現実を『身近なもの=自分の問題』として想像できるかどうかということだ。それがなければ、具体的なアクション=創造は生まれてこない。

 

 大震災五ヵ月後の811日、母の一周忌墓参の帰り新千歳空港から仙台空港へ立ち寄ってみた。仙台空港から被災地石巻を目指そうと思った。

 

 仙台空港からJR仙台駅までの連絡線は、まだ不通になっていた。タクシーに乗ってJR仙台駅まで行こうと思ったが、タクシーの運転手さん曰く、「石巻に行くんだったら仙石線の多賀城駅まで行ったほうがいいんじゃないの。仙台駅に行くのと料金同じだよ」とのことなので、そうすることにした。

 

 仙台空港を出た途端、道の周りにほとんど家がないことに気づく。(そうか、仙台空港付近も津波の被害にあったのだ・・・)途中の道々、運転手さんの話を聞きながら多賀城駅に行く。

 「3月11日の震災当日、空港で客待ちしてたんですよ。あっという間に津波が押し寄せて、車もなんもかも持っていかれちゃって・・・。結局、空港で一晩明かしたわけさ。食うものも何もなくて、笹かまぼこと萩の月(仙台銘菓)が一つずつ配られて、それでしのいだんだよねえ。車持っていかれちゃって仕事にならないからさあ、全国のタクシー組合から廃車寸前の車を寄付してもらって営業してるんだよ」

 道すがら、瓦礫はだいぶ片付けられていたが、人の気配がしない。

「ほら、この辺なんか二百人ぐらいの人が亡くなってるんだ。今は海が見えるけれど、この辺家がいっぱい建っていて海なんか見えなかったんだから・・・」

茫洋とした海を眺めつつ、タクシーは多賀城駅に到着した。

 

 多賀城駅から石巻駅までは、途中不通区間があり代替えバスが運行されている。

東松島駅で50分待って矢本行きのバスに乗る。途中、この地域で最も被害が大きかったと言われる野蒜地区をバスが通過すると、車内から大きなため息・・・。道路の海側には家がほとんどない。山側も道路から百メートル以上離れているところまで津波が来たのだろう。こちらも家が鉄骨を残しただけで放置されている。代替えバスは矢本駅に到着。ここから更にJRに乗り換え、ようやく石巻に着いた。新千歳空港発十二時三十分の飛行機に乗り、石巻到着が十六時三十分・・・。長い長い道のりだった。

 

 石巻駅からタクシーをチャーターして被災地を訪れた。石巻港に注ぐ北上川の北にある日本製紙石巻工場はまだ再開されていない。さらに北にある石巻市場は壊滅的打撃を受けた。「この魚市場は東洋最大と言われた一キロの長さの屋根を持っていたんだよ。それがほらたったこれだけを残してみんな持っていかれたんだよ」

運転手さんの指さす先には数十メートルの屋根が残るのみ・・・。路面は液状化現象で海水がふつふつと湧き出している。

 北上川をまたぐアーチ型の大きな橋を渡り、日本製紙の南側の地区を訪れる。

「この橋もね津波が来た時にやられてね。橋のてっぺん部分にいた車は助かったけれど、アーチ型の下の方にいた車は、みんな持っていかれちゃったのさ」

大きな建物の陰にあった民家はかろうじて残っているものの、建物はほとんど残っていない。魚の腐臭がかすかに漂い、人の気配が感じられない。

 

 来てみなければわからない。遠くで想像するだけでは、理解出来ない。現実を見なければ、次の手立てのイメージも湧かない。ゴーストタウン・・・。

 

 そう言えば、福島第一原発を視察した後に『死の町』発言をして、退任を余儀なくされた経済産業相がいた。彼の想像と現実のギャップの驚きが『死の町』と表現されたように思う。想像+現実が予想外に進展していった結果がこの始末だ。マスコミはこぞって『死の町』発言を批判し、本来考えなければならない重要な問題をスポイルさせた。池上彰はこの点について次のように述べている。

 

 (前略)閣僚が「死の町」と発言したことに飛びついて批判するマスコミの多くは「いつ死の町でなくなるのか、いつまでも死の町なのか」という重大で深刻な問題に向き合うより、発言者を批判するという安易な道を選択したのではないか。

(中略)マスコミがすべきなのは、「人が住めるようになるのはいつか、もし住める展望がないなら、それを住民に告げるべきではないか」との問いを政治家や行政に投げかけることではないでしょうか。そうでないと、住民は今後の生活設計が立てられないからです。深刻な事態はなるべく見ないようにして、それに触れた発言だけを問題にする。これでは、事態に正面から取り組む人は出ません。結局は事態を解決することを遅らせることになりませんか。

        (『池上彰の新聞ななめ読み』 朝日新聞 2011年9月30日)

 

 想像と現実の合体が次に志向しなければいけないのは、ギャップの折り合いをつけることでも言葉狩りをすることでもない。新たな『創造』をイメージしていくことが重要ではないだろうか。『ぼくにとっての創造=少なくとも何ができるか問い続けていくこと』は、プロローグで触れた菊池風音ちゃんの気持ちに寄り添うことで喚起された。高橋源一郎の言葉を引用しよう。

 

 (前略)その少し前、ぼくも鉢呂さんとほぼ同じところに行き、「こういうの死の町っていうんだね」と呟(つぶや)いたばかりだったんだ。あんな程度で辞任させられるわけ? 意味わかんない......。(中略)「震災」の後、どこかで、ボタンのかけ違いが起こってしまったんだろうか。正しさを求める気持ちが突っ走り、その結果、逆に「正しさ」の範囲を狭めて、息苦しい社会が作られつつあるのかもしれない。(後略)

(『論壇時評』朝日新聞 2011年9月29日)

 

                                                       (続く)

 

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