NO 1593 『生命(いのち)』を想像→創造→送像・・・することの意味(4) 2011.10.17
PARAT 3 生命(いのち)のメッセージ
2011年3月11日の大震災は、人の生命をどう考えるのか、あるいは人と人とのつながりをどう考えるのかをぼくに『送像』してきた。菊池風音ちゃんの心のありようを新聞から想像し、自分の課題として創造し続けることを決意した。そのことは同時にかけがえのない自分の子どもや家族との関わりをどう作っていくかということにつながっていく。
人はこのような大きな出来事が起きなければ、他者のことを思い起こすことは少ない。しかし、かけがえのない生命の問題は、毎日どこかで起こっている。
2011年10月7日、第100回『生命のメッセージ』展を見てきた。
『生命(いのち)のメッセージ展』とは、19歳の一人息子を無免許、飲酒運転の暴走車にはねられて失った鈴木共子さんが息子の声なきメッセージを届けようと2001年に発案企画。犠牲者の等身大の人型パネルに生前の写真とメッセージ文を添え、足元には遺品の「靴」を(足跡=生きた証)を置いている。無念にも亡くなり、生きたくても生きられなかった犠牲者からの「未来につながる命」を守るため全国各地でメッセージ展を開催している。
会場には100を超す等身大のパネル・・・。悪質な交通事故、いじめ、医療過誤、一気飲みなどの犠牲になった生命・・・。特に幼い生命には、ただただ涙・・・。
井上奏子(かなこ)ちゃん3歳7か月と周子(ちかこ)ちゃん1歳11か月の姉妹・・・。1999年11月28日東名高速道路で、酒酔い運転の大型トラックに追突されて、後部座席で寝ていた二人は、焼死・・・。奏子ちゃんは「あちゅい」、周子ちゃんは「わあーん」という言葉だったそうだ。さぞ無念だったことだろう。
残されたご家族のことを思い浮かべると、胸が張り裂けそうになってくる。
お二人のご両親は、次のようなメッセージを書いている。
「事故以来、遺された私達は二度と以前のような生活に戻れなくなってしまいました。2人を亡くしてからは、仕事をしていても事故以前の日付の書類を見ると、頭が真っ白になって思考が止まってしまいます。火事の場面も幾度となくフラッシュバックします。気がつくと、私達が生き残ってどうすればいいのかと問い掛ける自分がいます。燃え盛る火炎に為すすべも無く、娘達が生きながら焼かれるということを直視せざるを得なかった状況は、決して忘れることができません」
(『いのち・未来へ』いのちのミュージアム)
亡くなった奏子ちゃん、周子ちゃん・・・、そして遺されたご両親のメッセージをぼくは、どう受け止めればいいのだろう・・・。その無念さ、無力感、喪失感を共有することができるだろうか・・・。そこから何を創造しどう送像していくのか・・・。
(続く)