NO 1594 『生命(いのち)』を想像→創造→送像・・・することの意味(5) 2011.10.18
エピローグ
友人の故高田渡がマリー・ローランサンの詩『鎮静剤』(堀口大学訳)に曲をつけて歌っている・・・。
退屈な女よりもっと哀れなのは悲しい女です
悲しい女よりもっと哀れなのは不幸な女です
不幸な女よりもっと哀れなのは病気の女です
病気の女よりもっと哀れなのは棄てられた女です
棄てられた女よりもっと哀れなのはよるべない女です
よるべない女よりもっと哀れなのは追われた女です
追われた女よりもっと哀れなのは死んだ女です
死んだ女よりもっと哀れなのは忘れられた女です
人は体験した全てを記憶に留めておくことはできない。しかし、忘れることのできない事実はだれにでもあるだろう。忘れるということは、それが所詮他人ごとであるからだ。しかし、3.11大震災と菊池風音ちゃん、100円のウズラの串フライ、そして無念にも焼死した奏子ちゃと周子ちゃんのことを忘れてはいけない。それを他人ごとにしてはいけない。
直面した事実の全てに向き合うことはできないかもしれないが、事実から想像すること、そして何ができるか創造し、他者にそれを送像していくこと・・・。
フリースクールジャパンフレネの『お散歩の授業』・・・、ぜひ子ども達と一緒に『いのちのミュージアム』(生命のメッセージが常設されている)に行ってみよう。今ぼくにできるささやかな送像・・・。
2011年の総括、『想像』→『創造』→『送像』・・・。とてもシンプルで当たり前のこと・・・。
※ 『いのちのミュージアム』http://inochi-museum.or.jp/
(終わり)