NO 1595 30年経っても変わらない・・・教研&はなまる先生、そしてケサラ 2011.11.07
一昨日、神奈川県教研の第4分科会(算数・数学)に共同研究者として参加した。教員ほど学習しない人種はいない。ぼくが公立学校教員になった35年前以上のことだが、3年間あちこちの研究会に参加し、教科書は一切使わず毎日授業内容を学級通信で発信していた。そうすると3年目に、今まで聴く側だったぼくが、話す側になっていた。この時の財産で今も食べていると思っている。
教研で何が嫌かって言うと・・・、ここ30年以上言い続けていることが現場に全く反映されないという虚しさ・・・。例えば、今から30年以上前に克服され、教科書だって変わってきているのに、教員は変わらないことが多々ある。
「かけ算を累加で教える」というレポートが毎年出てくる。
2+2+2=2×3 これが累加の考え方。
しかし、2×2.3など小数や分数になると困ってしまう。2を2.3回たすなんてことは考えられない。そこで教え直しが始まる。かけ算の概念は、累加や倍、面積などいろいろ教え方があるが、現在は次のように指導される。
うさぎさんにはお耳が二つ。うさぎさん3羽ではお耳はいくつ?
2つ/羽×3羽 つまり1あたり量×いくつ分=全体量
3ℓ/㎡×2.3㎡
この考えでいくと×小数や×分数にも適用できる。
こんなシンプルなことがなぜ現場で実践されないのか・・・?
これを考えるには、古くは水道方式と教科書広域採択制などの政治的な問題に戻って考えなければならない。要は教科書通り(指導書=赤本通り)、周りの教員に歩調を合わせるという路線が楽だから・・・。子どもに向かって歩くのではなく、教員となれあって歩く・・・。
「木幡さん、今の学校では自分のやりたいことなどやれないんですよ」
一昨日の教研である教員がいみじくも言っていた・・・。そうなんだろうなあ・・・。レールをはずれることの楽しさなんて関係ないんだろうなあ・・・。子どもの心に事件を起こし火をつけるなんてことより、いわゆる学力をいかに効率的に教えるかが大切なんだろう・・・。
そしてやはり一昨日の朝日新聞教育欄に「かけ算を累加で教える」と公言する教員が『はなまる先生』として登場していた。見識のない新聞にも失望したが、やはりいまだに学んでいない教員が大多数という現実に虚しさを感じた・・・。
ぼくの師匠故遠山啓はこう言った。
「木幡君、両側を鉄板で仕切られたこの狭い道しかないと思って、人は歩いているんだよ。でもね、その鉄板をちょっと押してごらん。鉄板は簡単に倒れるかもしれないよ。鉄板の向こうに新しい世界があるかもしれないよ。それができるのは、君達若者なんだよ」
その若者もすでに還暦を越えてしまった。
西岡たかしは、こう歌った。
おー 今も昔も変わらないはずなのに 何故こんなに遠い
本当のことを言って下さい これがぼくらの道なのか
そしてぼくの大好きなピアノマン・リクオはこう歌っている。
平和で豊かな国 信じあえる人ばかり
だけど明日はどうなることやら
誰もわかりはしないさ
ケサラ ケサラ ケサラ
隠してた本当の夢は
涙と歌 道連れにして
レールをはずれることさ