NO1607 村田さんとぼくのこと(10) 2012.02.23
【閑話休題】
大阪市の橋下市長が小中学校の留年制度を要請しているとの報道が話題になっている。学校は、到達目標達成のために個別教育をすることは、可能だ。しかし、個性教育はできない。これは、公教育の限界であり、また宿命でもある。
小中学校の留年制度について賛否両論があるだろう。しかし、ここは熟考しなければならない。留年制の根底にあるのは、学力の固定化、同時にそれに付随する「それを何が何でも達成させる」というお上のおせっかい・・・。学力観は時代によって変わる。状況によっても変わる。OECDの学力調査(PISA)で20世紀型の学力観(How to)から21世紀型の学力観(Why)へ転換を迫られたのは、つい最近のことではないか・・・。
一体、何を学力としそれをどのように達成させるのか・・・。留年のメリット、デメリットも精査されなければならない。意外だったのは、この要請、尾木ママこと尾木直樹が20日付け読売新聞夕刊のインタビューで小中学校での留年を柔軟に認めるよう提言したことを受けているということだ。また、尾木直樹は「スピードは橋下さんの良さですね。私の考えを説明する機会があれば、ぜひ協力したい」(日刊スポーツ・・・、東スポではない)という談話も・・・。失望した・・・。
ぼく個人としては、この留年制は反対だ。その根底に中学校1年時代(50年前!)の次のような思い出がある。
中1の担任だった数学のY、突然次のようなことを言い出した。
「数学の成績が悪いので、能力別クラス編成で授業をする」
みんな、唖然・・・。そして、しーん・・・。
「このことについて、何か意見や考えがある者は?」
誰も意見など言うはずがないとたかをくくったのだろう。
黙っていられなくて、ぼくは手を上げた。
「ぼくは、反対です」
みんなと一緒に勉強したい。わからない人には、わかった人が教えればいい。そのことが、数学が得意にな人も苦手な人にも役にたつと思う。
そんなことを話したように思う。今考えても間違っていない。言いえて妙である。
教師から返ってきた言葉は、こうだった。
「木幡は数学できるからいいよな。できないやつは、どうするんだ」
さんざん説教された。
この時の数学教師の価値観・学力観と橋下がオーバーラップする。
教育現場で一番困ること、それは教師が良かれと思って強制すること・・・。そのことがいつも正しいとは限らない。これが一番始末に終えない。
その後、能力別クラス編成が実施されることは無かった。
それから35年後、上京してきたYと会う機会があった。
驚いたことに、彼はぼくの担任だったことすらも覚えていなかった。そんなものだ。もしかすると都合が悪い記憶は、自ら忘却のかなたに追いやっていたのかもしれない・・・。
村田さんだったら小中学校の留年制について反対するだろう。そう、思う。
このことがあって以来、学校からはぐれている連中(例えば、修学旅行の班編成でどこも拾ってくれない、どこにも行き場のない連中・・・)がぼくに接近し、それはそれで楽しい中学校時代だった。
(続く)