デイリーフレネ

NO1611村田さんとぼくのこと(15) 2012.03.06

【1979~1982】その3

● 民間教育運動のメッカ(2)

今考えると、当時の明星学園って今の読売巨人軍みたいな感じだった。生粋の明星育ちの教員もいたが、いわゆる外人部隊をかなり引っこ抜いている。

※ 生粋の明星育ちの教員

例えば、http://www.with.to/kagayake/otayori/otayori_12kiroku.pdf の講演をした依田好照さん。後に、明星学園小中学校校長、早稲田実業学校初等部初代校長。

 

大関松三郎の『山芋』を紹介した寒川道夫からスタートし、須田清(新潟)、『やまびこ学校』の無着成恭(山形)、横森サチ子(山梨の小学校の実践家)などが国語科。理科では、後に明星学園小中学校校長、そして自由の森学園中高等学校創立する遠藤豊(栃木・宇都宮大付属小)。美術では、山梨・巨摩中学校の久保島信保(『ぼくたちの学校革命』中公新書)。いろいろな意味で公立学校をドロップアウトした実践家が目白押しだった。同時に多数の研究者も明星学園の教育に関わっていた。

 

ぼくも遠山啓さんの推薦で明星に職を得たのだが、このことに関して故清宮一さん(埼玉県数教協委員長。稀有の実践家)は、故松井幹夫さん(明星→自由の森学園教頭)に「明星は、若手の実践家を引っこ抜くので困る」と苦言を呈したそうだ。そんなことは、つゆ知らず、ぼくは水を得た魚のようにのびのびと仕事に取り組むことができるようになった。

※ 公立にこだわるか、私立でのびのびと実践するか・・・。賛否両論あるだろうが、何が正しいかは、二極対立構造のなかで捕らえることはできない。その人の生き方の問題である。

 

このころ、村田さんも次のステップを考えていたに違いない。村田さんが公立小学校を退職するのは、翌1980年のことである・・・。

                                                      (続く)

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