デイリーフレネ

NO1616 村田さんとぼくのこと(20) 2012.03.21

年度末雑務のあれこれで更新が遅れてしまいました。お許し下さい。

【1982年から1985年】 その1 飲み明かした日々―不良精神―村田さんが見ていたもの

1982年8月の再会から1984年7月のフレネ教育者国際集会まで村田さんとの濃密なお付き合いが始まる。しかし、村田さんと一緒に『いつ・どこで・誰が・何を・どうした』が定かではない・・・(日記をつけているので調べればわかりますが・・・)。

 

ぼくは、教えを請う時、金魚の糞のようにべったりくっつく関係を好まない。いつも、つくか離れるかのきわどい関係を好む。師と仰ぎ、カリスマ的関係を互いに結んだ時、そこには停滞があるのみで進歩はない。師を目標に置くのではなく、師の見ているものを見る・・・。これは、かつて一緒に仕事をしていた明治大学の齊藤孝が言う『あこがれにあこがれる』関係と言ってもいいだろう。カリスマになった時、全ては終了する。

 

このころ、村田さんとの思い出は、やたら酒を飲んだことだ。飲み方が半端ではない。何かの会が終了した時、まず、みんなでわいわい飲む。次にもう一軒。この辺で23時を越え、大半が帰宅の途に着く。

「おい、もう一軒付き合えよ」

「いや、村田さん。もう深夜ですよ」

「付き合えないってのか。俺が現場にいた頃は、朝まで飲んでちゃんと授業していたぞ」

こう言われると、先に帰ることはできない。結果、朝まで飲んで・・・・。

 

 

「おはよー!あれっ!?また泊まったの?」

社会科の授業でモンゴルのパオ、ベドウィンのテントをを作るため、古毛布を大量に寄付していただいた。それに包まって、よく教室に泊まった。

「昨日は、何飲んだのよ?」

「オールドかな・・・」

「もう!せめてリザーブくらいにしなさいよ」

小5酒屋の娘Mちゃんとの会話・・・。

 

この頃、ぼくは『若者ひと塾』という教育問題を語る集まりと同時に、『教育芸能集団』というサークルを立ち上げていた。

「教育は芸だ!授業も芸だ!」「ためになるほどつまらないことより、人生いやになっちゃうほど楽しいことを!」

こんなスローガンの下に既成の授業に飽き足らない若い教師が梁山泊のようにたむろしていた。

※ ここに到る流れについては『授業が教師を変える―教師の点数信仰をどう脱皮するか』月刊「ひと」 1982.2(太郎次郎社)参照。後に現代教育実践文庫(7)「授業を創るとはなにか」(太郎次郎社)に再録。この時点でテストに点をつけること、テストの点で授業を評価することからすでに決別。

100点満点の算数テストでクラス平均80点にすることは、すでに達成されていたが、そのことの無意味さを授業の中で子ども達に教えられた。最近、再び、クラスの学力テストが全国平均より良いことで実践を評価するような言説が若い教師の中に生まれてきている。テストの点を上げるのは、実践的に一番簡単なことなんだよ・・・。

 

『教育芸能集団』に集まる教師と村田栄一がリンクしていくのは、ある意味当然の帰結だった。何故なら、両者とも不良を目指していたのだから・・・。不良とは・・・、はぐれている人、意識的にはぐれようとしている人・・・。

「一個の肉体のなかで人間は生まれた瞬間からはぐれているんですね。そのはぐれている自分とでくわすことです」(土方巽)

刷り込まれた既成のルートの中で生きることを拒否し、本物の自分に出会うために自己の芸をさらけ出し、地図にないルートを模索する。はぐれている本物の自分に出くわすために、意識的に正規のルート(教科書どおりの教え方、俗説としての学校規律・価値観など)から足を踏み外していく。この意識と村田さんが言う『教室をビックリ箱に!』がリンクする。今考えると両者とも過激だ。

 

村田さんの連続講座『教室をビックリ箱に!』をこの頃企画した。同時期、村田さんは、朝日カルチャーセンターでも講座を持っていた(後にこの講座を受講したメンバーと村田さんがドッキングし『教育工房』という会を作った)。村田さんが話したことで一番印象に残っているのが知的活動と文化の創造に際しての『編集』の重要性。外山滋比古『エディターシップ』(みすず書房)を参考文献として、断片を集積し編集することの意味を語ってくれた。間テクスト性・・・。最近、このことの意味を再確認している。断片の集積から新たな文脈・構造を作り、その流れのなかで断片が光り輝く。松岡正剛や構造主義哲学がリンクする。あの時は、ここまで見通せなかった・・・。師匠の見ていたことはこれだったのではないか?そんな気がする・・・。

※ 『エディターシップ』は絶版になっているかもしれない。中身を一部書き足した『新エディターシップ』がみすずから出ていると思う。

 

それにしてもよく飲んだ。新宿界隈・・・、新宿二丁目から三丁目にかけての怪しげな飲み屋、厚生年金会館そばの会員制バー・・・。今、その近くにジャパンフレネがあることに、何らかの縁を感じざるを得ない。始発電車で学校の教室に戻った日々・・・。本当に不良教師だったなあ・・・。あの後、村田さんはどうしていたのだろう・・・。村田さんの背中が寂しく見えた・・・。

                                                       (続く)

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