NO 1654 小説 『記憶』という名のあなたをたずねて(3)
小説 『記憶』という名のあなたをたずねて(3)
―北野 洋(きたのひろし)の記憶と希望
Part2 麗しい記憶―お姉さんと一緒(1)
北野は、物心つく頃から、どこに行っても知らないお姉さんに可愛がられる特質があることを、後年、記憶の片隅をほじくることで思い返すことができる。
【小3の時のお姉さん】
ぼくが小学校に上がる前、右目に炎症を起こし、視力が極端に落ちた。ぼくは生まれ育った北見市の眼科医院や札幌の医大で診察を受けた。当時の医学では病名はおろか、その原因もわからず、疲労が重なった時など右目が白濁し激痛が走る。
※
今は原因も病名もわかっている。
小3の時、北見市の眼科医院に毎日通っていた。
地方都市で数少ない眼科医院、毎日、1時間以上待たされる。
そんな時、受付のお姉さんが「ぼく、ちょっとおいで」と声をかけ、順番を早く回してくれるようになった。午後5時には、「お先に失礼します」と鞄を持って退勤。今、考えるとそのお姉さんは、きっと定時制高校に通っていたのだろう。
ある日のこと、いつものように早回ししてくれたお姉さん。その時、受付にいた男性職員がこう言った。
「ぼくぼく、このお姉さん、ぼくのことを好きなんだよ」
「いや~だ~!そんなこと言わないでよ」
顔を真っ赤にしたお姉さんが男性職員の肩をたたく。男性職員は、笑っている。
北野洋8歳、お姉さん17歳前後・・・。初めて異性を意識した。
【小4の時のお姉さん】
可愛い子には旅させろ!
ぼくが9歳の夏休み、北見市から父母の祖父母が住む夕張郡由仁町まで一人で遊びに行くことになった。当時は特急列車もなく、石北線準急札幌行の列車に乗車。旭川経由岩見沢で室蘭本線に乗り換え、由仁駅下車。
「洋、この汽車は札幌行だから岩見沢で乗り換えるんだよ。わからなかったら、駅員さんに訊くんだよ」
乗車した列車はガラガラ。おそらく蒸気機関車だったと思う。
準急と母が言っていたけれど、列車は各駅に停まる。なんか変だなあと思った時、同じボックスにいたお姉さんが、ぼくに話しかけてきた。
「ねえ、ぼく、どこまで行くの?」
由仁町の祖父母の家に準急に乗り遊びに行くと話したら、「一人で偉いねえ。でもこの汽車は各駅停車だよ。お母さんが間違えて乗せたんだね。お姉さん、旭川まで行くから一緒に行こう。旭川で札幌行に乗せてあげるから大丈夫。お姉さんに任せなさい!」
恐らく朝7時前後に北見駅を出発したのだろう。お昼近くになっても、まだ、旭川駅に到着しない。
「ねえ、ぼく。食堂車に行って何か食べよう」
「でも、ぼく、おにぎり持っているんです」
「おにぎりは、夜に食べればいいでしょ。さあ、お姉さんと一緒に食堂車に行こう。お姉さんがおごってあげる」
生まれて初めて食堂車に入った。お姉さんにカレーライスをご馳走してもらった。
家で食べるカレーライスとは、全然違った。今考えると、当時の国鉄(1957年頃)の普通列車に食堂車が接続されていたことが驚きだ。
お姉さんは、旭川で下車した。その後、岩見沢駅で何となく乗り換え、夜6時過ぎ由仁駅に到着したので、お姉さんが適切な列車に乗せてくれたのだろう。お姉さんと一体何を反したのだろうか?食堂車のカレーライス以外、何も覚えていない。
北野9歳、お姉さん、年の頃25歳前後か?
後年、友人からこう言われた。
「北野、お前は女性にスキを見せすぎるよ」
希望という名の あなたをたずねて
今日もあてなく また汽車に乗る
あれからわたしは ただ一人きり
明日(あした)はどんな 町に着くやら
あなたのうわさも 時折聞くけど
見知らぬ誰かに すれ違うだけ
いつもあなたの 名を呼びながら
わたしの旅は 返事のない旅
『希望』歌詞二番(藤田敏雄作詞・いずみたく作曲)
(続く)