小説『プライドと悔恨』―北野 洋の場合(2)2018.11.07
Part 1 北野23歳の初夏―子どもと親が助けてくれた
でも、なかには・・・といってもまれにしかいないようだが、私たちの気持ちをわかってくれる先生もいる。以前、そんな先生に教えてもらったことがあった。楽しみながら勉強ができる授業だった。
たとえば、算数だ。教科書では、「面積」「小数」としか書いていないのに、私のやったものは「面積屋敷のたんけん」「小数森のたんけん」などど、勉強が物語になっている。主人公は私たち生徒。探検しながら、問題にチャレンジしていく。途中、私たちの勉強をじゃまするブラックやブラクジラなどの悪者が登場して、難しい問題で妨害する。
私たちは、クラス全員で頭を使い、悪者たちに立ち向かわなければならない。ひとりでもわからない生徒がいてはならない。ワイワイガヤガヤ、大勢の中から想像もできないような意見も飛び出してびっくりさせられたり、大笑いしたりして、たったひとつの問題でも、みんなで答えを考えていくのです。
(N子 3)
北野はつくづく思う。学校とは一番低いレベルに自己を置き、そこから逸脱すると足を引っ張られ、出る杭は打たれると・・・。
北野は、結果的に教科書は使わなかった。いや、使えなかったといっていいだろう。
「もののかさを体積といいます」など、概念説明にもならない概念を説く教科書は使えない。だから、自作プリントを作る。教科書を使わないから、その理由を保護者会できちんと説明し、授業の様子を毎日の学級通信で伝えていた。
ある日の職員会議、ベテランの女性教諭がこう言うではないか・・・。
「印刷室のわら半紙を大量に使う先生がいます。これは不平等・不公平です。誰もが同じように使うようにしてください」
こんなことが提案され、可決されるおかしさ。
「わかりました。わら半紙は自腹を切ります。それで問題ありませんよね」
沈黙・・・。ここで議論して、学級通信をだすなという方向に進むのが一番困る。そう思った北野は、自分のプライドに折り合いをつけた。
職員会議終了後、出入りの教材屋が集金に来た。当時は、集金袋に業者テスト代や教材費を直接集めていた時代、集金していたお金を業者に渡したら、お金を受け取り「はい、先生。じゃあ、これね」と北野に数千円渡そうとする。
「何ですか?これ」
ベテラン女性教員が言う。
「いいから、もらっておきなさいよ。子どものために使えばいいんだから」
あ!これがリベート、バックマージンか・・・。こんなことが公然と行われていた時代なのだ・・・。
「わかりました。じゃあ、これ全部わら半紙を下さい」
目を点にして北野を見る教員たち・・・。だれも、子どものためなどに使わないのだ。
保護者会でわら半紙のことを話す北野に、保護者はこう言った。
「先生、わら半紙のことは心配しないでください。私たちは、先生の学級通信を楽しみに待っているのですよ。わら半紙代は、私たちでで出します」
泣ける・・・。いつの時代でも足を引っ張るのは、同僚。助けてくれるのは、親と子どもだ。授業が楽しいと子どもは、学校の様子を親に話す。親は、学級通信でそのことを確認する。学校でも家庭でもダイアローグの輪が広がっていく。
北野洋、23歳の初夏・・・。
私は、一つの授業が終わるのがいやだった。しかし、それはまた、つぎの新しい授業の新しい物語、新しい経験の始まりでもあるのです。だから、明日の授業が、プリントが待ちどおしかった。私はいっしょうけんめい問題をやり、かけ足で先生に見せに行く。すると、「Ok!」「Home run!」などと、いろんな楽しいことを書いてくれた。私は、勉強ってこんなに楽しいものなのかと、あらためて思った。
私たちは「銀河鉄道」の乗客になったり、登山家にも、探検家にもなり、小笠原や山梨の未知の友だちとも文通して友だちになれた。
(N子 4)
―続く―