小説『プライドと悔恨』―北野 洋の場合(4)2018.11.08
Part 3 北野23歳冬―プライドを見せろ!
別の先生の授業で一度、意見をどんどん言いなさいといわれ、私は思いっきりいおうと思っていたのに、10分程度で、「やめー」だった。先生にしてみれば、時間がもったいないし、授業がおくれるという心配もあったのでしょう。
話はもとにもどるが、理科で「ジャガイモの観察」をやった。私たちは春に植えたジャガイモが、秋にはたくさんの実をならせたことに驚いた。土にまみれながらイモを引っこ抜きあった。そのイモをふかして塩をふりかけて食べながら、自分たちの作ったものをみんなで食べるってすばらしいと、いいあった。
また、「もののとけ方」では、かつおぶしとコンブでだしを取り、うどんを煮て食べた。
うどん以外に何もはいらないこのごちそうの味は、いまでも忘れていない。
(N子 6)
北野が新任として学校勤務に就いた1970年代は、『君が代 日の丸』は、まだ法制化されていない。例年、年明けの一月末から、卒業式をどう執り行うかの議論が始まる。
校長は日の丸を式場のどこかに置き、君が代を何とか歌わせようとする。
それに反対するのは、北野と教職員組合の分会長だけだ。
夜遅くまで、らちの開かない議論をし、最終的には多数決で決められてしまう。
普段、物言わない教員が採決の時、反対に挙手するのに北野は、新鮮な驚きを感じた。
北野は、『君が代 日の丸』を授業化する。その歴史的背景や諸説、そして先の戦争と天皇制・・・。小学校三年生に話しをするのだが、何も難しいことではない。事実を事実として話せばいいのだから・・・。
そして、こう言う。
「君が代を歌うか歌わないか、それは君達の判断だ。何が正しいか間違っているのか、しっかり考えてほしい」
卒業式当日・・・。
「君が代、斉唱。ご起立下さい」
北野は、起立して回れ右。唖然としている教員を無視し、当然のごとく歌わない。
今の時代なら、即懲戒で、これが度重なると懲戒免職になるのだろう。
しかし、何のお咎めもなし・・・。これを問題にすれば面倒くさいことになるので、校長も黙認して、事なきを得る。
式が終了して教室に戻ると、子ども達が寄って来る。
「きたのん、回れ右して歌わなかったでしょう。私も歌わなかったよ」
「俺も歌わなかったぜ」
北野洋23歳の冬・・・。
でも、いまの私はあのころの私とはちがう。先生と生徒がいっしょになって楽しく勉強し、自分たちでつくりあげていく授業に夢中になっていたころの私とは、ちがってきてしまっている。いまの私にとって、本当に楽しい授業なんて、もうありえない。「答えがわかればいい授業」だけがある。意見はいえなくても、なぜそうなるのかの理由がわからなくても、みんなについていければ、その授業は楽しいということになる。自分だけの楽しさ、なんとちっぽけな喜びなんだろう。
「なぜ?」なんて考えてはいけないのです。だって、答えはひとつしかないのだから、その正しい答えを頭にたたきこむしかないのです。わかるか、わからないか。おぼえるか、おぼえないか。どちらかしかないのです。
(N子 7)
エピローグ―北野24歳春、そして25歳春、65歳春・・・
N子達との別れの季節・・・。願うなら北野は、彼ら彼女らと小学校生活を一緒に過ごしたかった。しかし、それは公立学校の宿命、担任は二年間しか持てないのだ。奈月子達は、五年に進級し、北野は新四年の担任になった。
新学期、昼休み、北野の教室に進級した子ども達がやって来る。
「きたのん、ひどいんだよ。北野クラスだったやつは、たて!って言って、立たされて説教されるんだよ」
「しつけがなってないとか、俺たちが生意気だとか・・・。やってられないよ」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い・・・。そういう手合いは反面教師として学べばいいんだよ。
五月六月と過ぎていくにつれ、進級した子ども達は北野の教室に次第に来なくなっていった。長いものには、巻かれろ・・・。あきらめ・・・。北野にいくらグチを言っても、事態は改善されない。北野が直接抗議すれば、子ども達は、より激しくいじめられる。
北野は、公立学校の限界を感じた。
その年、山梨県の小学校との学校間交流を行い、静かに時が流れていった。
北野洋24歳の春、そして25歳春・・・。
みんなでつくった楽しい授業、よくわかる授業、あのころのみんなで続けていた勉強が、いまでは、夢のよう・・・。
授業が変わってしまったことも悲しいことだけど、いまでは私自身が、その授業になれてしまって、深く考えずに「わかった」とかんたんに納得してしまう自分の変化が、もっと悲しく思えるのです。
これを書くためにひっぱりだした楽しい授業のプリントが机の上に山と積まれています。
それをかたづけて、三学期のために、また勉強を始めます。
(N子 8)
ここまでN子の文章を読み、北野は号泣した。
北野には、悔恨がある。公立学校に幻滅し、その限界を感じていた北野は、N子達が六年に進級した年の四月、乞われて私立小学校に転身したのだった。
始業式でそのことを知った子ども達は、走って家に帰り、こう話したという。
「お母さん!大変!大変だよ!北野先生が学校を辞めちゃったよ!なんで!なんで!」
そして、さめざめと泣きだしたそうだ・・・。
北野がいるからこそ、教員にいじめられても、じっと辛抱していたのだろう。北野と一緒に作ってきた楽しい授業の二年間が、彼らを支えていたのだろう。
それを捨てて、北野は転身した。自分の都合で転身した。そのことを、今、初めてわかったような気がした。N子達に今何ができるだろうか・・・。あれから35年たった今・・・。
北野は学校の体制に失望し、小さなフリースクールを経営している。少人数の子ども達と一緒に作る授業にN子達の姿がオーバーラップする。プライドは、捨てていない。あの公立学校で突っ張っていた三年間のプライド。
プライドを持ち続けているならば、いつでも、すっくと孤高に立つことができる。
久しぶりにN子に連絡してみようか・・・。北野は、そう思った。
北野洋65歳の春・・・。
※ 『N子』(ひと100号『おもしろい授業、おそろしい授業』苑田奈月子)
※ ここまで書いて、木幡も号泣した・・・。
―完―