NO1668 小説『お行儀-佳子と北野洋の場合』(1) 2018.11.13
プロローグ
白い共同椅子
萩原朔太郎
森の中の小径にそうて、
まつ白い共同椅子がならんでゐる、
そこらはさむしい山の中で、
たいそう緑のかげがふかい、
あちらの森をすかしてみると、
そこにもさみしい木立がみえて、
上品な、まつしろな椅子の足がそろつてゐる。
詩集『月に吠える』より
この詩を読むといつも思い浮かぶことがある。
こんなに静謐で、しかも確固たる孤独の中、凛として共同性を希求する詩。そんな詩を書く人のご飯の食べ方が、何故、汚かったのだろうか・・・。
ものの本によると、萩原朔太郎のご飯の食べ方は尋常ではなく、とにかく食べ物を飛び散らかすので、新聞紙を周りに敷き、その中心でご飯を食べていたという。
ご飯を食べ散らかすのも気にならないほど、何かにとりつかれていたのだろうか。それとも他の心的要因があったのだろうか。
ご飯粒をこぼすたびに北野は、佳子のことを思い出す。
北野洋(きたのひろし)もご飯の食べ方が汚かった。何故か、ご飯をぼろぼろこぼしてしまう。
「大丈夫、大丈夫。朔太郎もそうだったのだから。新聞紙を敷けばいいだけ」
佳子は、そう言って、いつも微笑んでいた。
その佳子がいなくなって、もう二十年・・・。
(遠くまで来てしまった俺は、これからどう生きていけばいいのだろう?北野の脳裏に遠い昔の佳子、若かったころの佳子が浮かんでくる)
―続く―