No1670 小説『お行儀―佳子と北野洋の場合』(3)2018.11.19
Part 2 1969 東京 数寄屋橋
東京の街は政治の季節で混とんとしていた。
入学後、大学の授業があったのは5月までで、後は、学生運動を主導する学生達によるバリケードストライキ、そして大学によるロックアウト。その年の授業はすべてなくなり、北野は時代の流れに翻弄されていった。大学にはほとんど行かず、ヘルメットを被り、街頭でのカンパニア活動、そして機動隊や他党派との小競り合い、住所不定のアウトロー・・・。佳子との連絡は、とっくに途絶えていた。連絡しようにも、各大学の学生寮を転々とする生活では、連絡の取りようがない。
年も押し迫った12月の中旬、北野は数寄屋橋交差点でカンパニア活動をしていた。ここには、右も左も様々な政治的党派が集まる。この界隈を歩く人々は、誰もが幸福そうで、北野の胸を締め付ける。吹きすさぶ木枯らしに薄汚れたコートの襟をすぼめていた時、傍らから罵声が聞こえてきた。
「偽善的なボランティア活動をして、どういう意味があるってんだ!どこに神がいる?今すぐ出してみろ!革命が起きるかもしれないこの時代に神なんか必要ない!」
仲間の罵声に、紅白のタスキをかけた軍服姿の一人の女性が、三脚に架けられた鉄鍋の前でにこやかに答えている。
「いいえ、神様はいます。私の心の中に。そして、あなたの心の中にも・・・」
その声に北野は愕然とした。
「佳子!どうしてこんなところいるのだ!」
救世軍ブラスバンドが奏でる聖歌が数寄屋橋の雑踏に悲しげに流れていた。
十字架にかかりたる
救い主を見よや
そはなが犯したる
罪のため
ただ信ぜよ ただ信ぜよ
信ずる者は誰も みな救われん
聖歌424番
Part 3 1969 東京 杉並・和田
【佳子の話】
北野君と連絡がつかなくなって、私は、心配で心配でたまらなかったの。
救世軍?私の家は、両親も私もキリスト教徒で救世軍の信者なの。札幌にいる時は、まだ高校生だったから表立った活動は、しなかっただけ。でも、神を信じるわ。
東京に来たのは、つい最近。そう、二か月前だったかしら。
救世軍の小隊(教会)から、東京の救世軍病院院長の秘書にならないかっていう話があって、私、すぐその話を紹介してもらったの。もしかして、東京で北野君に会えるんじゃないかなあと思って・・・。
ううん、大学はほとんど単位を取っているから大丈夫。後は卒論だけだから、こっちで書いて送ればいいだけ。
ちょうど社会鍋のシーズンだったから、病院近くの小隊にお願いして繁華街に出たのよ。
ビックリした。まさか、いきなり北野君に会えるなんて・・・。やっぱり、神はいらっしゃるのよ。こんな奇跡が起きるんだもの。
ねえ、北野君、私と一緒に札幌に帰ろうよ。お父さんやお母さんだって、心配しているよ。ねえ、帰ろう・・・。
営団地下鉄丸ノ内線中野冨士見町駅から、救世軍病院までの道すがら、佳子の話を聞いて、北野は何を考えていたのだろう。一言もしゃべらず、手も握らず、北野はあてのない帰路についた。
―続く―