NO 1679 après-coup(アプレ・クー)への道―迷うための地図を求めて(1)2019.11.23
「すみません、上野ですけれど一度授業を見せてもらいにお伺いさせていただいてもよろしいでしょうか?」
そんな電話があった。上野・・・?上野姓にたくさんの知り合いがあったので、思わずお訊きした。
「あのう、どちらの上野さんでしょうか?」
「教育誌『ひと』の母親編集員をしていた上野初枝の息子の俊哉です」
ああ・・・、懐かしい匂い・・・。
フリースクールジャパンフレネは、原則、誰にでも授業を公開している。
この日は、『昨日の夜、何を食べたか?』と題する授業。気候・風土が主食を規定し、思想や宗教にまで影響することを考えた。
この時集まってくれたのは、上野俊哉さん(和光大学表現学部教授)、教え子・茜(当時目黒区区会議員)、そして元國學院大學教授里見実さんの教え子Chakiさん(現アメリカ在住)
教育誌『ひと』を媒介に何らかのつながりがある面々である。里見さんとは、1984年ベルギーのルーバン大学で行われたフレネ教育者国際集会に師匠故村田栄一と共に三人で参加した。これがフレネ教育者国際集会における、日本人初の正式参加だった。
※ 教育誌『ひと』
1973年(昭和48年)石田宇三郎・板倉聖宜・遠藤豊吉・白井春男・遠山啓を刊行発起人として太郎次郎社から創刊された月刊教育雑誌(編集代表遠山啓 木幡も1979年~1986年まで編集委員をつとめた)。戦後民間教育の成果を総合的に取り入れ、2000年の終刊まで市民教育運動を大きくリード。『ひと』を媒介にしたひと塾は最盛期には60を超え、様々な教育問題が語られた。
木幡同様、奥地圭子、故鳥山敏子も同時期『ひと』編集委員を務めた。奇しくも三人は公教育を離れ三者三様のフリースクールを作ることになる。居場所としての東京シューレ、シュタイナー教育の賢治の学校、そして最もアバウトなジャパンフレネ・・・。
「木幡さん、ぼくが高校生時代、生まれて初めて書いた原稿をゲラの段階で呼んでくれて書評してれたのが木幡さんなんですよ」と俊哉さん。
「その時、ぼく、何か言ったの?」
「『よくまとめているね。でもまとめればいいってもんじゃないからね』と言われましたよ」
二人で大爆笑!
何で上野さんがぼくの授業を観に来てくれたのか忘れてしまったが、その後、主宰する教育考古学会『教育誌ひとの時代を考える』で上野初枝さんと俊哉さんにおいでいただき、2019年10月の教育考古学会にも『不良教師の輝き』と題し、俊哉さんに話していただいた。
その時上野さんの話に出てきたのがaprès-coup(アプレ・クー)。
「木幡さんが言っているバックキャスティング的授業とaprès-coup(アプレ・クー)は似ているんじゃないかなあ?」
※ FORECASTING的授業とBACKCASTING的授業
山のふもとから頂上を眺める。つまり文科省の学習指導要領や教科書が設定した到達目標(山頂)にいたる予(あらかじ)め定められたルートを現状分析や過去のデータ・実績・経験など現在を起点にアタックするのが FORECASTING的授業。目標設定が誤っているといくらPDCA(Plan・Do・Check・Action)しても、うまくいかない。
逆に子どもの疑問や発想から到達目標を決め、そのゴール地点から現在地を見て山頂に至る理想的なルートを探し出すドローン的発想の授業づくりがBACKCASTING的授業である。
理想の姿からふもとを見ると思いがけないルート(イノベーション)が見える事もある。
しかし、SDGs(持続可能な開発目標)のように大人が掲げた未来は第1人称になりにくく、一つのルートに子どもを乗せるFORECASTING的授業と同じである。
※ フォアキャスティング&バックキャスティングについては、企業や経営的分野では常識的な術語である。数年前、当時事業構想大学院大学教授であった小塩篤史さんから、教わった。教育の世界、特に公教育は相当遅れていることがわかる。
昨今言われだした異年齢異質な集団の構成や少人数(12名前後)、テストや宿題はない・・・。これらは単に時代の変化の中で要請されてきたことではなく、子どもの発想や疑問を持ったことを授業化して行くバックキャスティング的授業では当たり前のことだ。何十年前から、当然のように実践されてきている。
さて、それではaprès-coup(アプレ・クー)とは、いったい何を意味するのだろう・・・?