NO 1681 après-coup(アプレ・クー)への道―迷うための地図を求めて(4)2019.11.27
Part3 道は迷路のように続く―プログラミングはいらない
今回の長崎プロジェクトがご縁になり、11月長崎純心大学の公開講座でFORECASTING的&BACKCASTING的授業を行い、同時に長崎プロジェクト=アプレ・クーの報告も行った。
長崎プロジェクトでお世話になった長崎純心大学教授荒木慎一郎さんの感想を紹介しよう。
本日(9日)の木幡さんの授業に参加して、私が今抱いている思いは、おそらく本筋ではないと思うが、それを述べても、本筋など事前に設定しない木幡さんからは、お叱りを受けることはないと思う。
ひとことで言えばもの狂おしいのである。何かとても大切なものに出会いながら、それをうまく言語化できない、そのようなもどかしさ。
それが何なのか分からないけれど、いや分からないからこそ、書き始めてみよう。それが、今日学んだ木幡さんの流儀にふさわしい。
ジャック・マリタンが『岐路に立つ教育』で展開する教育論は、教育の原理的な考察から出発しながらも、そこで問われているのは、公教育制度の下での学校教育のあり方である。学校は文学・美術の好きな人間を作ることはできるかもしれないが、詩人・画家を作ることは絶対にできない。哲学を理解する人間を作ることができるかもしれないが、思想家を作ることは絶対にできない。なぜなら、詩人・画家・思想家をその者たらしめているのは、創造的直観だからである。
創造的直観を人間が学校教育を通して操作しようとするなら、それほど不遜な試み、茶番はありえない。
教師が、創造的直観の片鱗を子どもの中に見出した時、なすべきことは、この直観を見逃さず、それが表現されるように励ますことである。過度に計画化され、その計画の実現が評価される現代の学校教育で、教師が子どもとそのように接する余裕があるのだろうか。
私が今日の授業で、木幡さんについて感じたのは、木幡さんが創造的直観を見極める目とそれを目撃した時、この直観が表現されるのをじっくり待つ余裕を持っているということでであった。
木幡さんの授業理論、アプレ・クー(après
coup)=「衝撃の後」は、創造的直観の出現を目にしたときの衝撃、その後、この直観が表現されるのを助ける営み、それをも含み込んでいるのではないか。
詩人・画家・思想家を作ることはできない。それは木幡さんとて同じである。しかし、詩人・画家・思想家はフレネの学び舎の中から、生まれるかもしれない。
今、この文を書き終えて、自分が抱いたもどかしさは、これだったのかと思った。このアプレ・クーの分かり方も、木幡さんにふさわしいと思う。
アプレ・クーの授業を一回でも経験したら、楽しさの追求のために迷路を求める。
その迷路は不思議なうながしの匂いでわかる。プログラミングが先行するのではない。今回、上野俊哉さんの話を聴き、以前読んだ『学校を非学校化する』里見実(1994 太郎次郎社)を読み返してみた。
そうすると、フレネ教育から分かれていった『制度のペタゴジー』グループ、さらにフレネの弟子フェルナンド・ウーリーは精神分析やグループ・ダイナミックスなどに枝分かれし、その弟ジャン・ウーリーが院長であるラ・ボルト病院につながっていく。ここには、ガタリも密接に関わり、アプレ・クーは更なる迷宮に入り込む。
そして、前述のお友達Tさんからラ・ボルト病院の医師が京都大学で講演をするという情報が入ってきた。これは、行かなきゃ!さらに迷走しなければ!(après-coup)
深夜バスに乗り、京都に行ったのは言うまでもない・・・。
今、学校は危機に直面している。
教える⇔教わる=治療する⇔治療されるという関係から脱皮し、共存・共生していくためには何が必要だろう?制度が変わらなければ、この関係から脱皮できないのだろうか?
「制度の医療」の実践者たちは、集団医療のさまざまな手法をもちいて面倒を見る人と面倒を見られる人という「病院」的関係性をすこしずつ変えていこうと試みたのでした。患者もまた、―というよりも患者こそが、癒しの行為の主体でなければならないのです。社会から隔離され、常に管理され監視される状態のもとにおかれながら、どうして「患者」が自分を「再-社会化」できるというのでしょうか。
『学校を非学校化する』p86
そして、迷路に迷い込んだぼくは、1年前に購入したこの本にようやく出会えた。その本の帯にはこう書かれている。
『現在とは、いつも未来が始まる基点なのだ。何を言っても無駄という無力感とともに言葉が停止していく先には暴力が待っている。他者と出会い、知るという行為を経て言葉は再び語りだす』
『始まりの知-ファノンの臨床』冨山一郎(2018法政大学出版局)
ファノンとは旧フランス植民地アルジェリアで「制度の医療」を実践し、アルジェリア革命に多大な影響を与えフランツ・ファノンである。
そして、現在と未来を結ぶファノンのポリシーはフリースクールジャパンフレネのポリシーと次の一点で一致する。
So what should utopia be good for? It is good because it keeps us moving.
(ユートピアは何のためにあるの?それは私たちを動かすためにあるのさ)
-1998年 フレネ教育者国際集会in 自由の森学園でのプレジデント・シルビア(スイス)の演説より-
(続く)