デイリーフレネ

No.04 2009.10.21 「普段の行いで得るもの」

フレネの毎週水曜日は「お料理」の時間です。

 「子どもがお料理?火も使うし包丁も使うでしょ、ちょっと危なくない?」

 そう思う人は一時期多かったのではないでしょうか。むしろ、そういう「体制」が一時期注目されただけでしょうか...

 子どもと「危ないもの」という面から見れば、確かに「注意しなければならない」というのが大前提ではあります。しかし「危ないから全て避ける」というわけにもいかないのが人の実情ですね。

昨日からは、JFFで販売するおもちゃの製作が開始しています。カッターを使って厚紙を切り抜く作業は、厚紙が硬いことから、少々思い通りに切れないことや、カッターを使うことがつまらなく感じたりすることがあるかもしれません。

 しかし「そうか、こういう物はこういう切り方をすればいいんだ」という発見は、教科書を読んだところでわからない「分かり」の一つと言えます。「体で覚える」とはこのことでしょうか。

 大学での僕の学科(哲学科)では、「言語的な分かり」が重要視されます。慣れれば理解のコツをつかめるものですが、すでに「分かっている」ことの「別の見え方」を、哲学書から学んだり(本当に一々関心してしまうものが多いです)することもあります。
しかし、そういった言語的な分かりに必要となってくるのが「感覚」や「経験」です。

 アリストテレスは昔、子どもは哲学的なことを学ぶのには不十分であると言いましたが、その一つは、子どもにおいては「言語的な分かり」に必要な経験や、感覚からの知識が、発展途上にあるということです。

では一体「不十分」と言われるものを埋めるにはどうしたらよいのでしょうか。

おそらくその答えは普段の生活に隠されていると思います。「掃除機」での掃除の方法、「包丁」の怪我しない使い方などなどは、教科書や説明書を読んで「分かった」からすぐにそれができるといった様なものではありません。「四角いところを円く掃かない」という「言葉」から、「そうか、円く掃くってこーゆーことなんだ」という分かりを得るには毎日の生活で「掃除」をしていての賜物と言えそうです。

フレネでは、一々「よく切れるナイフ」や「便利な機械」を使うことは稀です。シンプルで汎用的な道具と、自分の想像力で物を作ったり、簡単な親子丼のレシピをこなしながらタマネギと向き合う機会を大切にしています。それは「普段の生活」で包丁を使っているか、掃除機を使っているか、によって大きく能力差が見えてくるところです。

はずかしながら普段はインスタント麺に頼っている僕ですが、やっぱり「家でも包丁を持って料理をしなければ」と反省をした今日この頃です(笑)

今日は牛丼でも作ってみようと思います。


日々の状況や教育エッセイをスタッフ・阪英樹がレポート。

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No.04 2009.10.21 「普段の行いで得るもの」


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