No.09 09.11.12 「アウフヘーベン1」
弁証法(アウフヘーベン)とはどういったことでしょう。
テーゼに対してのアンチテーゼ、テーゼとアンチテーゼの中間に見出されるジンテーゼ(統合定立)。日本人好みの「要するに」を使うと、簡単に言えばテーゼという名の意見に、Bさん達の反発、「まぁまぁ」と出てくるジンテーゼ公といったところでしょうか。そしたらそのジンテーゼさんをAとしたアンチテーゼ、ジンテーゼが出てきて....という風に山が形成されます(山というよりかは一本の凧の様に上がっていくというか...)。ヘーゲルおじさんによれば、こうして哲学の内容は高くへ登っている構図が書き出せるわけですが...
昨年のちょうど今頃だったでしょうか、代表コハタマンのカバンを持ちながら先生方が集まる教育研究会議へ行き、数人の先生方の授業のアイデアなどを拝見させていただきました。今年は行ってはいませんが、代表曰く「最近はあまりつまらないなぁ」とのこと...。
もし、教授の方法や先生の「やさしさ」、生徒達の「学力」や「学ぶ意思」などが、弁証法によってちゃんと育っているならば....
という発想が「すごい!」と思った方、早合点はお待ちください(笑
論理的には確かにこうした弁証法に驚嘆したくもなりますが、しかし実情は違いますよね。
「人が成長していく」というのは「その人なりの」弁証法を構築していくということでもありますし、ゆくゆくはそれが様々な論や定理、発見等の発展に適っているということも否定し難いですが...
「2」へつづく
