デイリーフレネ

NO1625 村田さんとぼくのこと(29) 2012.04.23

【1985年から1999年】(2) フレネ教育国際集会(2)

● フロリアナポリス(1988 ブラジル)

南米を訪れるのは、もちろん、初めて・・・。この当時、ブラジルへの渡航費がべらぼうに高く、とても行けそうもないと思っていたが、多くの支援者が現れ、多額の援助をいただいた。感謝!7月末、ぼくと里見実さん(当時國學院大學教授)と同僚の女教師Nさんの三人でロスアンゼルス経由でサンパウロに向かった。およそ24時間の旅である。

 

サンパウロで数日過ごし、パウロ・フレイレを訪ねてみたり(サンパウロキリスト教大学がお休みで会えなかった)、日本人街を散策したり・・・。サンパウロは、アルコール車が走っているので、街中は甘い香りが漂う。サンパウロからさらにエアーで1時間、南部のフロリアナポリスへ。この街の対岸にある島で集会が行なわれる。ぼくらには、コテージ1棟が与えられた。

 

この集会でラッキーだったのは、日系二世の大山・マーラ・レジーナに出会えたこと。彼女は友人の女性二名とフレネ集会に参加していた。日本語とポルトガル語がぺらぺらの彼女を介し、ぼくはブラジル人教師向けの講座を持つことができた。『かけ算の意味』や『無限の授業』、そして『水道方式』の説明を行なった。

 

かけ算の意味を説明した後、「みなさんは、どのようにかけ算を教えているのですか?」と質問した。「教え方は、関係ない。計算ができればいい」

「計算ができなければ、だまされる」

「計算ができなければ、生活できない」

ショックだった・・・。ストリートチルドレンが煙草やガムのばら売りをしている現実の中、かけ算の意味より実学としての計算の力が死活問題となってくる。ブラジルでは落第制度が小学生からあり、落ちこぼれた子どもがストリートチルドレンになるということも教えていただいた。麗しい教育愛より、計算能力・・・。後日、マーラの家を訪れた時、高校生の弟は、小学校の割り算を勉強していた。公文式で・・・。

 

集会終了後、マーラの住むクリチバという街(人口100万位)を訪れ、フレネ教育法で運営している幼稚園を見学した。街の1ブロックが幼稚園。なだらかな谷があり、小川も流れている。ブラジルは、学校認可が比較的緩やかで若い人が幼稚園や学校を経営している。フレネの方法を遵守している。活字を拾って印刷する部屋、香料を調合する部屋、体育室、学習室・・・、そのハードたるや・・・。

クリチバではもう一つ一部教師がフレネ教育を行なっている私立アテネスクールの中学生に飛び込みの授業を行った。確か、累乗の指数・・・。

 

フレネ教育に限らず、日本の教師や研究者が世界各地の学校を訪れる時、何か授業を行うというようなことは、稀である。しかし、それでは単なる博物館や美術館見学と同じではないか。教材を媒介に対話をしなければ何の意味もない。前回のルーバン(ベルギー)でも授業を紹介し、日本の民間教育運動とフレネ教育の比較を行なったが、今回のかけ算の授業ではブラジルの現実を知るきっかけをつかむことができた。とにかく、」授業する・・・。教材で対話する・・・。これが一番だと感じた。

                                                        (続く)

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