デイリーフレネ

NO1615 村田さんとぼくのこと(19) 2012.03.13

【1979~1982】 その6 再会

明星学園で水を得た魚(公立小学校でも好きなようにやらせていただき、周りには歩調を合わせない人と思われていたので、公立でも私立でもあまり関係ないけれど・・・)のように、実験的な授業をやらせていただきました。一緒の学年を受け持った一瀬さん・・・、この人にはお世話になった。教材作りのお手伝いをはじめ、先に先にと進むぼくの後始末をやっていただき、安心して授業研究ができた。一瀬清さん、現明星学園小中学校校長、65歳、この春定年になる。

 

この間、数学教育協議会常任幹事、月刊教育誌『ひと』編集委員、『ひと塾』実行委員、『若者ひと塾』実行委員などを通し、教育運動や授業研究運動に密接に関わり始めた。まだ、30歳の若造だった。

※ 『ひと』は編集代表遠山啓の没後、編集委員会の中で分裂騒ぎがあり、発刊発起人でもある社会科の授業を作る会の白井春夫、仮説実験授業研究会の板倉聖宣の二人が編集委員を降り、それぞれの道を歩む。板倉聖宣は、仮説社から『楽しい授業』を創刊。白井春夫も授業作りの会を継続していたが、没後、会はどうなっているのか不明・・・。

 

1982年8月、この夏、名古屋『ひと塾』の夏季研究会に呼ばれた。何を話したのか覚えていない。しかし、この時名古屋の雄・岡崎勝に出会った。青白い顔をしておどおどし、自身なさそうだった。学校でかなり痛めつけられていたようだ。彼も後年居直って、華麗に変身!

※ 岡崎 勝(おかざき まさる) 1952年生まれ.名古屋市小学校教員.愛知教育大学保健体育科卒業.創刊30号を迎えたユニークな学校マガジン『おそい・はやい・ひくい・たかい』(ジャパンマシニスト社)編集人。独立系組合など作っていた彼も今年退職かな?

 

会の終了後、「木幡さん、名古屋市内でもう一つ会があるんですが、出てみませんか?」と、誰かに誘われた。車に同乗し、その会に出てみると何と!村田栄一がいた!どうして!?何の会かも覚えていない・・・。

 

「村田さん、70年安保の6月、青山学院で話をしましたよね。あの時、ぼく、そこにいたんですよ。その後、自宅に電話をして『国民教育論批判』を送ってもらったんです」

「ああ、覚えているよ。あの時、君もいたんだ・・・」

下駄を(村田さんはサンダルと言う)を履いて現れた村田さんの姿がまじまじと浮かんできた。村田さんは、1年間のスペイン遊学を終え、トリノで開催された『フレネ教育者国際集会』に参加した足で帰国し、帰国後第1回目の集会で名古屋に来ていた。偶然が重なり、11年ぶりの再会が・・・。

以後、村田さんとの長い付き合いが始まる・・・。

                                                     (続く)

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