選択登校(不登校)の子どもを応援!
選択登校とはなにか?
■ジャパンフレネは子どもを型にはめません
学校に行けない、行かないということに不安や負い目を感じることはありません。一人一人の学び方はみんな違います。どんなところでどう学ぶか…。学校に行かないという選択をした子どもを応援するのがジャパンフレネです。
よく次のような誤解をする方がいます。
「学校に行けない・行かないからフリースクール」という考え方です。あるいは「学校の教師かフリースクールのスタッフを志望する」も同類です。
学校とフリースクールは、そのポリシー(方針・考え方)とメソッド(方法)において根本的に違います。教育基本法の第1条に書いてある通り、学校における教育は「国民を育成する」ことを目的にしています。つまりこれは国家の論理です。
フリースクールは国家の論理に乗ることを拒否します。学校はどんなに麗しいことをいっても「子どもを型にはめる」ということから逃れることはできません。そのために公教育では綿密なカリキュラムが敷かれ、各学年の到達目標を設定します。
その年齢でそのレベルまで到達しなければその子は「おちこぼれ」というレッテルを貼られます。フリースクールは一人一人の子どもの興味や関心をベースにそれぞれのカリキュラムを作っていきます。フリースクールと学校はその意味で、本質を異にします。
■子どもの興味から学びの必然性をひきだし、個性教育を重視します
公教育では「個別教育」はできますが、「個性教育」はできません。たとえば算数・数学が嫌い・不得意な子どもがいるとします。居残り学習をしたり、能力別クラス編成をしてなんとか到達レベルに持っていこうとするのが「個別教育」です。
それに対し算数・数学ができなくてもこの子はアートに興味を持ちそれをやりたいといっているからそこからスタートしよう。算数を学ぶ必然性ができたときにその学習を考えよう。これが一人一人の子どもに対応していく、「個性教育」です。そのために、学ぶ必然性が起きてくるような多様な教材や授業・創作活動を用意していきます。
学校ではこのような対応は不可能といっていいでしょう。このように国家の論理に乗る学びの場を選ぶか、それとも一人一人の個性に応じて対応する学びの場を選ぶのか、これが「選択登校」のポリシーです。
これは二極対立構造を目指すものではありません。学校に行くことを選択するも良し、学校以外の学びの場も良しです。学校にも変わってもらいたいので、積極的に関わりを持ち、連携できるところは連携していくことも必要と考えています。
ですからジャパンフレネを会場に、さまざまなジャンルの人達が集まり、授業作りの学習会も定期的に行っています。
拙著「算数のできる子どもを育てる」(講談社現代新書)から引用してみましょう。
社会適応は、学校の宿命である。いわゆる「読み書きソロバン」と人とのつきあい方、そして日常生活の基本を何らかの形で“たたき込む”場が学校であると言ってもいい。そのたたき込み方をどんなにオブラートに包もうとも、子どもにとって学校は押しつけられた存在であるに違いない。
ただし、そういうことを学校で「教育される」ことと、子どもが自ら「学習する」こととは別の問題である。学校がいくら教育しようとしても、子どもの学びたいこと、興味を持つことは別物である可能性が大きい。
今の学校は、その二つを同時に進行させようとすることに問題がある。「教育」は国家の論理に、「学習(学び)」は個人の論理に立つ、相矛盾した概念だ。