ジャパンフレネの目指す公共性とは何か
公共性=意見をぶつけ合い、徹底的に対話すること
■自分たちのLaw(憲法)作りによって自由教育を可能にします
自由に行動するということは、いつも他者を意識していなければたくさんの不都合が噴出してきます。自由とは好き勝手に生きる事ではありません。
自己と他者の関係性を意識し、お互い「生かし生かされている」状況の中で、自己の解放が相手の解放にもなる事を意識し、行動できる状態です。自己の自由が他者の自由にならない場合は、本当の自由ではありません。
そこを履き違えると、なんでもありの混沌を作ることになります。
国立教育政策研究所の永田佳之さんは著書「自由教育をとらえなおす」(世織書房)の中で、自由教育が生き延びるには次の二つのパターンしかないといいます。これは、歴史が証明しています。
1つは「宗教的戒律を持っている学校」もう1つは「自分たちのLaw(憲法)を持っている学校」です。ジャパンフレネに宗教的バックボーンはありませんので当然、後者に属します。
■対話によって公共性を実現します
ジャパンフレネの「公共性の意識」は、まず、ミーティングの中で養われます。ジャパンフレネの中で起きる様々問題に対し、遠慮や妥協を廃し、とことん各自の私利私欲を出し尽くします。
我慢やあきらめはいけません。それはダイアローグ(対話)を拒否する事につながるからです。私利私欲があるのが人間です。恥ずかしい事ではありません。
すべての人の私利私欲が一致する事はありえませんので(一致するとしたらこれまた怖い事です)、そこで対話が必要になってくるのです。
この過程でジャパンフレネのLawが決定され、それを明文化していきます。しかし、ここで決定付けられたLawは固定的なものではありません。まずければいつでも変更可能なものとして定義付けられています。
ジャパンフレネで起きるさまざまな出来事は常に日刊メールマガジン「デイリーフレネ」紙上(ジャパンフレネのホームページより無料購読手続き可能)や「おーい仲間たち」(映像つき日々の活動)に公開され、皆様からの意見をいただいています。
ジャパンフレネの目指す公共性とはこういうものです。
「閉鎖性を廃し常に開放的であり、弱者の排除に抵抗し均一性を求めない空間」といってもいいでしょう。
しかし、人の生き死にに関する問題、例えば暴力の行使は何人といえども許されません。それを意識的に行使した人はジャパンフレネの空間に居ることはできません。
ジャパンフレネ新宿では、過去3年間に作り出されたlawを見なおすために、すべてを白紙に戻し、必要に応じ新たなlawを作る作業が始まっています。