どうしてフレネ自由教育のフリースクールを開こうとしたの?
フランスの自由教育思想を日本にも
代表の木幡寛は、1984年ベルギーのルーバンで開催されたフレネ教育者国際集会に初めて参加して以来、多数の教師や指導者、仲間にアドバイスを受けながら、ともにフレネ自由教育に関わりました(ブラジル、スウェーデン、ポーランドなどの国際集会にも参加し、現地で教師や生徒を対象に授業をおこなってきました)。
また、フレネ教育者の国際交流を目指す1998年のフレネ教育者国際集会(日本集会)開催では、運営責任の一端を担いました。
フランスの公立学校から生まれたフレネ自由教育は、ごくあたりまえと思われる誰にでも実践可能な教育思想です。
しかし、現在の日本の公教育の中では1クラスあたりの人数が多いため、フレネ教育は実現しにくいと考え、少人数による学校以外の学びの場を作ることにしました。それがフリースクール「ジャパンフレネ」です。日本的教育土壌の中でフレネ教育の可能性を探り、学校と学校以外の学びの場を結びつけ、学びの共同体を作っていきます。
このことが、選択登校を希望する子どものサポートになるに違いありません。