デイリーフレネ

VOL 1526 2009.06.12

『いろんな世情がありまして、人はそれぞれ惑います・・・』(3 )


PARAT 2 世情喪失―高田渡の死


1969年・・・、東大闘争・・・。唯一東大入試がなかった年だ。
「東大に入りたかったんだけれど、入試がなくてねえ・・・」
1969年大学入学のぼくは、この言い訳ができる団塊の世代。


大学入学後は、まともな授業は皆無だった。バリケードストライキ、ロックアウト、学当当局との団体交渉・・・。火炎瓶が飛び交い、デモの一つにも出なければ馬鹿にされる時代だった。新宿西口広場(現在は、通路という名称に変更されている)には、フォークゲリラが集まり反戦歌を奏でる。この時代『自衛隊に入ろう』を引っさげて颯爽と登場したのが、フォークソングの鬼才といわれたフォークシンガー高田渡だ。その時代の世情をそのものの存在・・・。ぼくとは、四半世紀にわたる付き合いだった。


2005年4月16日、その友人・高田渡が亡くなった...4月の上旬、北海道の白糠で倒れたことは、これまた友人のシバ(ブルースシンガー 高田渡と武蔵野たんぽぽ団を結成)から聞いて知っていたが、まさかこんなに早く逝ってしまうとは...。この年の1月、ジャパンフレネ主宰の合宿研究会、夜のライブに来てもらったのが最後になった。


彼のことは1960年代から知っていた。1970年代初頭、大学をドロップアウトし関西の共同体を放浪していたとき、友人が弾いてくれたのが山之口獏の詩に高田渡が曲をつけた『生活の柄』...。


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歩き疲れては夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれて寝たのです 
歩き疲れて寝たのですが眠れないのです
そんぼくの生活の柄が夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと寝たかと思うと 
またも冷気にからかわれて
秋は秋からは浮浪者のままでは眠れない


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1970年代後半公立学校から三鷹市の明星学園の教師に転身したぼくは、当時全盛を誇っていた教育誌『ひと』(編集代表 遠山啓 太郎次郎社)の編集委員も兼ねていた。


念願だった高田渡のインタビュー記事の企画が通り、彼に連絡し吉祥寺の飲み屋『笹の葉』で会ったのが最初だった。確か1980年だったと思う。


カウンターだけの飲み屋に集まる人たち全員が彼の友達だった。ひょうひょうとして媚を売らない彼の生き方は、上昇志向を求めないマイペースの生き方をする庶民誰からも好かれていた。それから彼との長い付き合いが始まった。
あるときは、路上に出したビールケースの上に座り、またある時はライブの会場で彼といろいろ話すことができた。酔っ払って泊めてもらったこともある。


深刻な話は二人ともしなかった。今考えるとたわいのないこと、雑談の類...。しかし時折、彼の小学校時代の学校生活の話にもなった。


 「当時の学校給食で脱脂粉乳が出たよねえ。あれをまずいって言う人が大半だけれど、僕に言わせれば、あんなに美味しいものはなかったね。もう極貧生活だったから」
「学校の先生なんていい加減だよね。貧しくて給食費を払えないんだけれど、黒板に払えないやつの名前を書くんだよ」
あるとき、研究会のイベントでライブをやってもらった時、遅くまでホテルのロビーで飲んでいた渡ちゃん。ロビーのソファーで酔いつぶれて寝込んでしまったらしい。
ふと寒気がして目覚めると、彼の身体に模造紙が1枚かけられていたとか...。「ひどいよねえ。模造紙だよ、模造紙。せめてシーツにしてもらいたかったなあ」
これは<模造紙事件>として後まで語り継がれ、そのたびに笑いの種になった。
しかし、彼はよく飲んでたなあ。マス酒の角に塩を乗せ、塩をなめなめキュッとやる。


明星学園時代、その後の自由の森学園時代、ジャパンフレネの時代でも年に1回ぐらいはライブをやってもらったが、飲まないで演奏したことは一回もなかった。
ある時は、缶ビール片手に現れた。
「渡ちゃん、ここは学校だよ」
「いいじゃない、ビールぐらい」
笑ったなあ!


以前、二人で吉祥寺の立ち飲み焼き鳥屋・伊勢屋で飲んでいた時のこと...。
「教育研究会でトークショー頼まれているんだよね。学力問題で」
「あ、俺、学力問題、得意!」
「えっ、そうなの?じゃあ二人でトークショーをやろう!」
「やろう!やろう!」
しかし、飲んだ勢いとはいえ、こんな感じでトーク
ショー&ライブが決まっていいのかなあ。これも思い出の一つだなあ。


ぼくの出版記念会でライブをやってもらったこともある。
「CDを持って来ようと思ったんだけれど、かみさんが『木幡先生の出版記念会に呼ばれたのにCD売るのは失礼でしょ』って言われたので持って来ませんでした」
大爆笑!


偉ぶらない、媚を売らない...。
ある年のクリスマスイブ、吉祥寺の伊勢屋の前を通ったら、やっぱりいた。一人で飲んでいた。
「渡ちゃん、1月のライブ忘れてないよね」
「あ、先生!だんだんカポネみたいになってきたねえ!大丈夫、忘れてないから」(この時、ぼくは黒いソフトを被っていた)
「この人、数学の先生なんだけれど全然数学的じゃないんだよね、変な先生なんだよ」


そして1月の合宿でのライブ...、酔っ払ったぼくは渡ちゃんの隣に行き、一緒に『生活の柄』を歌った。合宿でのワークショップでは「俺も何か作品を作ってみようか」と、ちぎり絵に挑戦。その作品は額装され我が家のリビングの壁に掛けられている。<2005.1.9 高田渡>のサインとともに...。


世情の喪失、そして世情を語れるシンガーの喪失。
(PART3に続く)

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