NO 1639 外山滋比古さんの家にお邪魔するまでの話 (1) 2012.12.20
昨年は8月から12月まで断酒していたせいもあり、忘年会には参加しなかった。今年になり、アルコール解禁!以前と同じように飲まない日がない生活・・・。今月は、6本の忘年会。教え子からのお誘いが多い。12月14日(金)、調布で明星学園小学校時代の教え子3人とプチ忘年会・・・。
● やはり授業の話―『赤い風船の少女をたずねて』
1979年4月、三年間勤務していた埼玉県の公立小学校から明星学園に勤務先を変えた。
※ この辺のいきさつに関しては、ブログに書いています。師匠である故・遠山啓先生のご推薦をいた
だきました。
公立小学校の実践(これに関してもあちこちに書いているが、また、再確認してみたい)が実践の開拓の時期だとするならば、明星でのそれは、まさに発酵の段階。『守・破・離』で言うならば、守→破の時期でもある。思い通りの授業ができた。
明星学園小学校は、教科担任制がかなり進んでいて、ぼくは、国語・算数・社会の三教科だけ授業すればよかった。
たかひろ 「今考えたら、めちゃくちゃやってたよなあ。木幡さんは」(笑)
木幡 「めちゃくちゃってなによ?」
たかひろ「普通、1時間目から4時間目まで算数やる?算数だけじゃなく、国語とか社会科も」(笑)
木幡 「でも、だれも文句言わなかったじゃない」
たかひろ「そりゃ、授業が面白かったもん」
ひろこ「木幡クラスで一番迷惑したの理科の佐藤さんkじゃない?理科の授業をつぶされて」
たかひろ「そうそうそうそう!社会科の授業で成増まで歩いて行った時、佐藤さんの授業、つぶれたでしょ!」
木幡「あれは、前もって断っておいたんだよ」
そういえば、社会科の授業で一歩を何年とかにして、50万年前(50万歩)まで歩いてみようという授業をやったなあ・・・。明星学園をスタートし、吉祥寺のサンロード→石神井公園→東武線の成増付近まで半日かけて歩いた。ああいうのって記憶に残るんだよね。これは、実践記録として残っている。
木幡「たかひろ達だって、めちゃくちゃなことやってたじゃない」
たかひろ「なによ?」
木幡「国語の『赤井風船の少女をたずねて』の授業の時、作者の外山滋比古さんの家へ行ったろう」
たかひろ「行った行った!」(大爆笑)
これも思い出の授業。記録として残っている。
※ 『ひと』(太郎次郎社)1982.4。後に現代教育実践文庫第8巻『読み方の授業、詩の授業』に収録。この巻には、ぼくの次の」実践も収録されている。『あんず林のどろぼう―メルヘンを読む』1981.7、『みんなの心に咲いた"一つの"花』1979.11 一つの花の実践は、サンケイ新聞でも紹介された。
国語の授業をする時、教科書は使っていないので昔の教科書も含め様々な文献をあさる。『あんず林のどろぼう』は、ぼくが読んだ立原えりかの作品では、もっとも好きなものを授業化。『赤井風船の少女』は昔の教科書に収録されていたものを見つけ出した。教科書に収録されているものは改作されているものが多いので、必ず出典を読まなければならない。これもそうだった。原典『裏窓の風景』外山滋比古(1970 英潮社)の中の『赤い風船』と『大文堂』をミックスさせたものだった。
ストーリーは、簡単。外山さんの家にしぼんだ赤い風船→近くの小学校の創立50周年記念で飛ばした→「がっこうのせんせいになりたい」という願いが書かれている→外山さん、手紙を書く→忘れた頃に年賀状→外山さん、その子の家まで寄る歩いていく→家の一角に明かり・・・。夢まどかであるよう祈る・・・。相当レベルが高いエッセイ!
これをどう料理して、たかひろ、そしてぼく達が外山さんの家に行くようになったのか・・・?
※ 教え子の息子がやってきたので、明日に続きます。大学へ行ったのはいいが、やめるというので何とか話を聞いてやってとのことで、昼酒飲みながら話を聞きます。ちなみにこの息子も明星出身です。
(続く)