NO 1642 時代の中のあなた―見えないものを見るために、そして遠くまで行くために・・・(1) 2013.04.08
ほぼ、四ヶ月ぶりのブログです。この間、新宿から雑司が谷への移転もあり、雑用に追われていました。しばらく、こまめに書いていこうと思います。
春だというのに 北風にあおられ
街の声に せきたてられ
彼らにあわないから 追いまくられ
さすらう気は さらさらないのに
誰が呼ぶ声に 答えるものか
望む気持ちと うらはら
今はただ すきま風を手でおさえて
今日の 生き恥をかく
(『春のからっ風』作詞・作曲:泉谷しげる)
三月末・・・、転勤のシーズン。知り合いの教員Aさんが、最寄の駅から車で30分、学年1クラス、各20名弱の僻地の中学校から、学年4クラスの大規模校に転勤になった。定年間近のAさんに取って、自宅からも至近距離の大規模校は、好条件のように見える。しかし、Aさんは、悩んだ。芸術系教科を教えているAさん、各学年全部を一人で担当しなければならない。担当時間数が大幅に増えていく。Aさんは大病を患った後で、時間数の増加は、大きな負担になって行く。管理職や教育委員会は、このことを配慮してくれなかったのだろうか・・・。
Aさんの転勤を聞いて、すぐに北海道で過ごした小学校5年6年の担任のK先生のことを思い出した。数年前の同期会で45年ぶりにK先生にお会いした。
「木幡くん、私は18歳の時から代用教員で42年間教職についていたけれど、その間、同じ市内の勤務だったんだよ。しかも、転勤は、たったの三回・・・。私は、心臓に持病を持っていたのでそのことを配慮してくれたんだねえ。このことについては、管理職に感謝しているよ」
時代が移り変わり、学校や教職員の世界は、変わってきた。とはいえ、互いにいたわり、支えあう職場環境や人情が失われていっては、身も蓋も無い。教員だけじゃない。生きているものすべて、受難の世界がひたひたと押し寄せて来ている・・・。
時代と共に見えなくなっていったもの、時代が変わって消えていったもの・・・。物質的貧しさから豊かさへの変遷の中でそれらを考えることは、今いる私たちの立ち位置を考え、規定していくことにつながらないだろうか?
季節 季節 が素通りする
来るかと思って見ていると
来るかの様に見せかけながら
ボクが居るかわりにと言う様に
街角には誰もいない
ムダ骨折にまみれて座っていると
これでも生きているのかと思うのだが
季節 季節 が素通りする
まるで生きすぎるんだというかの様に
いつみても ここに居るのは僕なのか
(『石』詩:山之口獏 曲:高田渡)
―続く―