デイリーフレネ

NO 1637 ぼくとお酒とワタルちゃん―フォークシンガー高田渡との26年(3) 2012.10.15

Part 2 1983~1998

 

酒が飲みたい夜は酒だけではない

未来へも 口をつけたいのだ

日の明けくれ うずくまる腰や

夕暮れとともに しずむ肩

(『酒が飲みたい夜は』詩 石原吉郎 曲 高田渡)

 

1983年高田渡は6年ぶりにニューアルバム『ねこのねごと』をリリース(ぼくの手元にワタルちゃんのサイン入り見本盤LPがある。日付は、1983.10.26)。この時代、まだCDは主流ではなくLPレコード。

 

「センセ、センセのクラスの子に出てもらえませんかねえ?」

ワタルちゃんから、ぼくのクラスの子ども(明星学園5年生)に出演要請あり。インストルメンタル(オフヴォーカル)に子どもの声を入れたいらしい。男女各2名がスタジオに行き、『おじいさんの古時計』を歌う。スタジオなるものに初めて足を踏み入れた。ワタルちゃんは、当然飲んでいて、終始、ご機嫌!

 

このLPのことをシンガーソングライターの南らんぼうが『どっこい高田渡は生きている』というエッセイで書いている。「家に帰ったら気持ちいい音楽が流れ、かみさんと息子がこれまた気持ちよさそうに歌っている」東販か日販の広報誌だと思う。この記事を渡ちゃんに渡したらとても喜んでくれ、1984年吉祥寺のバウスシアターで行われた武蔵野フォークジャンボリーには南らんぼうがゲスト出演・・・。ああ、ぼくが架け橋をかけたんだとしみじみ思った。

 

     南らんぼう

1944年宮城県生まれ。1976年にNHKみんなのうたで発表した『山口さんちのツトム君』は150万枚以上のミリオンセラー。

 

この時代、ぼくは明星学園、自由の森学園と自由に実践できる場で仕事をしていた。ぼくの周りに集まってくる連中もユニークな教師が多かった。「授業は、芸だ!ためになるほどつまらないことはやめ、人間嫌になっちゃうほど楽しいことをやろう!」というキャッチフレーズで集まった教師たちと『教育芸能集団』を結成し、毎月、教科書を使わない楽しい実践を検討していた。

 

「木幡さん、俺の学校にでっかいスクリーンがあって、それにビデオ(当時DVDはない)を映せるから、見に来ない?」

不良教師Tの誘いで、夜、公立学校の視聴覚室に酒とつまみを持って集まり、The Bandのラストコンサートを観たり、高田渡&シバのライブを何度も行った。

 

     シバ

1949年東京生まれ。ブルースシンガー。高田渡らと『武蔵野たんぽぽ団』を結成。

アルバムを多数リリース。三橋乙揶の名前で漫画家としても活躍(故永島慎二に師事)。

 

1983年8月箱根高原ホテルで行われた全国ひと塾(教育誌『ひと』を媒介にした教育研究集会)に高田渡&シバのライブを企画。大好評だったので、翌日は投げ銭でライブをすることになった。フロント前のホールにステージをしつらえ、好きな歌を好きなだけ歌ってもらうことにした。麦わら帽子が回り、お金を入れてもらう。1万円札も何枚か・・・。

ライブ終了後(ライブ中もだが)、当然の飲み・・・。

 

さて、翌日のこと・・・。

「センセ、参ったよ・・・。飲んだくれてそのへんで寝ていたらさ、寒くて目が覚めちゃったの。周りにだーれもいなくて、模造紙が一枚かけられているんだよねえ。せめてシーツとか上着とかだったらいいのにさあ、模造紙だよ。ガッコのセンセって冷たいんだねえ・・・」(大爆笑)これが、後々伝説として伝わる『箱根模造紙事件』だ。

 

明星学園では小学生向けのライブ、自由の森学園では高校生向けのライブを何度もやってもらった。いつぞや、彼を迎えに飯能駅に行った時のこと・・・、駅の売店でウィスキーの小瓶を買っていた。出番待ちにグイッー・・・、歌の途中でグイッー・・・。「飲まずにいられるか!」という気迫でウィスキーの小瓶をあおる。教え子にバックミュージシャン佐久間順平の娘がいた関係で、彼も含めたくさんのバックを従えて学校に来たこともある。

 

     佐久間順平

1953年神奈川県生まれ。高田渡らとヒルトップストリングスバンドを結成。稀代のバックミュージシャンとしてさとう宗幸や伊藤多喜雄のバックを数多く手がける。

 

「センセ!久しぶり!」缶ビール片手に登場するワタルちゃん・・・、周りが心配して酒を控えさせるのだが、お構いなし・・・。1993年にリリースしたアルバム『渡』の録音スタジオに行ったが、ここでも呑んだくれていたなあ。この時のプロデューサーがはちみつぱい→ムーンライダーズの鈴木慶一。彼もワタルちゃんの言動には、一目置いていた。そういえば、初期のアルバム『FISHINON SUNDAY』には、YMOの細野晴臣をバックに従えていた。

 

ライブでは、飲んでいたほうが飲んでいない時より、演奏の是非は別にして、話ははるかに面白い。1999年にリリースしたアルバム『Best Live 高田渡』には酒を飲んでべろべろ状態のワタルちゃんと酒を断っていた(定期的に入院し酒を抜いていた)正気(?)のワタルちゃんの二枚のCDが収納されているが、客とのやり取りを含めたライブの臨場感は、酔っ払っていたほうがはるかにいい。

 

やじに対し、「しらないよ、お前のことなんか・・・。えー、冬になると、どっかに行ってんだよな・・・、冷たくなって・・・」(爆笑)

「ああいう人、好きですね。家に帰ったら、何か失礼なことを行ったんじゃないかと自己嫌悪に落ち込んじゃったりしてね・・・。好きです」(爆笑)

 

臨機応変に対応できる対話のセンスを持ち合わせているんだよ。

 

(続く)

 

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