NO 1634 『沖縄』という素材(4) 2012.09.25
エピローグ
ぼくが主宰する授業作りの会で阿部 進さんの話を聴いた。
※ 阿部 進
教育実践家・㈱創造教育センター代表・日本幼年教育研究会講師・横浜市子ども支援協議会会長。通称「カバゴン」。
1930年(昭和5年)東京生まれ。横浜市立平沼小、県立神奈川工業高校(機械科)、横浜国大(学芸学部特別教員養成課程修了)とすべて横浜で学び育ち、現在も横浜在住(金沢区)。 19歳で川崎市の小学校で代用教員。その後、川崎市内の小学校教諭を務める。
1961年「現代子ども気質」、1962年「現代っ子採点法」を出版。社会科の教科書編集員、各種民間教育運動の事務局、特殊教育『手をつなぐ親の会』の結成などにて活躍。1965年春に退職。手塚虫・寺山修司らと「現代子どもセンター」を創り、新教育運動を提唱。その後、㈱阿部進事務所,㈱創造教育センターを設立し、野生学園・麻布科学実験教室・劇団はかせなど教育全般の活動を展開する。現在は地元横浜市の子ども居場所問題に関わり、「放課後」の独自プランの普及に尽力している。全国各地の保育園・幼稚園・小学校で出前授業・出前保育を展開中。
著書:『現代子ども気質』『現代っ子採点法』『3歳までに決まる』『気質別教育法』『野生教育のすすめ』『糖尿病からの生還』『カバゴンの放課後楽校』他多数。
戦後の民間教育を支えてきた諸先輩が高齢のため、どんどんリタイアしていく。阿部さんの話をお聴きする機会もそう多くはないだろうと、企画した。題して『伝えたいこと』
「阿部さん戦後、、第1回の日教組大会が日光で行われた時、川崎から自転車に乗って行き参加したという伝説がありますが、そういう行動の原動力になったものは、何でしょう?」
会場からどよめき・・・。
「いやあ、あの時は大変でねえ。アメリカ人の自転車を借りたのはいいけれど、競輪の自転車と同じで、歯車と歯車がチェーンで直結。ペダルを踏んだら、ずっと踏んでなきゃいけない。おまけにブレーキはない。坂道を下る時、死ぬかと思った」(大爆笑)
「この話だけで一日かかりますが、要はわかんない事だらけだったんです。代用教員で何もわからなかった、だから経験しなきゃいけない。盗んでこなきゃいけない。檀の真ん前に陣とって食い入るように話を聴いたんですよ」
80歳を過ぎた阿部さん、話しだすと止まらない。1時間半の予定が3時間を超す独壇場に・・・。
「色々経験し聞いてみなきゃわかんないんですよ。沖縄に行った時、大きなお墓の輌隣に小さなお墓があるんです。なんだろうと思い、そばにいたおばあさんに聞いてみました。今考えると馬鹿なことを聞いたと思いますよ。そうしたら、おばあさん、なんと言ったと思いますか?『あれはなあ、悪いことをした人が入るお墓。悪いことをした人は、みんなが入るお墓には入れん。もう一つはなあ、親より先に死んだ人のお墓。これもみんなと同じお墓には入れん』
私は絶句しました。親より先に死ぬのは親不孝と言いますが、先に行って待っているよと親が先に死んでいく。その後、子どもといっしょになる。それなのに先に死んだ子どもは、あの世で親と一緒に暮らせない。今、いじめで自殺する子どものことが問題になっていますが、なんで親より先に死ななければならないんでしょう!死んだ後も一緒にいられない!こんな不幸があっていいんでしょう
か!」阿部さんは、ここで号泣した・・。
この夏、ぼくが沖縄絡みで体験、経験した最大のこと・・・。聴いてみなければわか
らない。体験してみなければわからない・・・。