NO 1640 外山滋比古さんの家にお邪魔するまでの話 (2) 2012.12.21
教え子たかひろ、当時11歳、現42歳が何故外山滋比古さん(1981年当時、御茶ノ水女子大教授)の家に行ったのか?
続きです。
● 一点突破の全面展開的授業―『赤い風船の少女を訪ねて』
作品『赤い風船の少女』の内容を簡単におさらい。
ストーリーは、簡単。外山さんの家にしぼんだ赤い風船→近くの小学校の創立50周年記念で飛ばした→「がっこうのせんせいになりたい」という願いが書かれている→外山さん、手紙を書く→忘れた頃に年賀状→外山さん、その子の家まで寄る歩いていく→家の一角に明かり・・・。夢まどかであるよう祈る・・・。相当レベルが高いエッセイ!
この作品を原文で読み終わり、すぐにやろうと思ったことは、ぼく達全員が外山滋比古さんになりきろうということ。なりきって、『赤い風船の少女』の家までオリエンテーリングしようということ。
※ ちょうど社会科で地図の学習をしていたので、それとタイアップしての都市型オリエンテーリング。今でいうなら、さしずめ『総合的学習』ということになるかな・・・。
思い立ったら、早いです。当時はインターネットなど無いので、電話帳で印刷業『大文堂』を調べ、片っ端から電話し、大文堂の場所を突き止めた。大文堂は移転していたが、事務所だけ残っているという。外山滋比古さん宅にも連絡し、オリエンテーションの件をお願いした。厚顔無恥、恐れを知らない子どものように・・・・。奥様に快く了承を得て、さあ、来週は出発だ!と、うきうきしていた時・・・。
● はあ?行っちゃったの?
ところが、クラス全員で行く前にこのたかひろ、あきひこ、ひかるの三人が、下北沢で待ち合わせし、外山滋比古さんの家に行ってしまったのだ!
その手順は、こうなります。
外山滋比古さん宅を電話帳で調べ、住所を割り出す→地図で最寄の駅を調べる→現地に行き、直接だと失礼なので一人を外山滋比古さん宅の前で待たせておき、これから伺う旨の電話を入れる→外山滋比古さん宅訪問→外山滋比古さん在宅→外山滋比古さん、三人を案内してくれる・・・。
いやはや、すごすぎ!今の小5にこれだけのパワーがあるだろうか?知的好奇心を満たすための行動力!脱帽・・・。
あきひこ 「ジュース、出してくれたんだよな」(爆笑)
たかひろ「ばーか、いいんだよ、そんなことまでいわなくても」(大爆笑)
外山滋比古さん、「えらいね」と言っていたそうです。
その後の顛末をひかるの作文で見てみよう!
● 外山さんの家から大文堂まで(ひかるの作文)
5月10日、日曜日、ぼくとたかひろとあきひこで、外山さんの家から大文堂までオリエンテーリングの下見に行ってきた。
※ と、言い切るところがすごい!
下北沢で待ち合わせをして、丸の内線の茗荷谷へと向かった。(中略)
外山さんの家がみつからない。近くの人に聞いてみると、「外山さんちならそこだよ」と教えてくれた。心配なので、たかひろとあきひこが電話で聞いてきた。やはりここだった。しばらくすると、外山さんが出てきて、風船の落ちていた場所、たき火をしていたところも教えてくれた。それからジュースも出してくれた。
大文堂のほうは、外山さんが案内してくれることになった。なぜなら、大文堂は神田の方にあるとでんわちょうにのっていて、外山さんの行った大文堂は、ぜんぜんちがうほうにあるからだ。なにしろ12年も前だから、もうかわってしまったのかもしれない。(中略)そこに行ったのはいいものの、大文堂がない。近くの人に聞いても、わからない。
それで結局、今の日新いんさつだろうという結論がでた。茗荷谷で外山さんにお礼を言って別れた。よくわからなかったけれど、なるほどど思った。
外山さんの人柄。
年齢40歳くらい。
身長150センチくらい。
性格、やさしい。
おくさんと仲がよい。
おそらく、外山滋比古さんの人柄分析をした小学生は、彼らだけだろう・・・。いやはや、たまげた。
● 様々な出会いと授業
いやあ、こんな風に作品と出会い、人と出会うことは、幸せだ。ぼくと明星学園5年1組の36人は、こうやって『赤い風船の少女』を外山滋比古さんになりきって(なりきったつもりで)、訪ねた。ぼく達37人分の荷物も預かっていただき、歩いて歩いて・・・、護国寺そばの大文堂の跡地(大文堂の出張所が残っていた)を見つけた時、みんなでバンザイをした。
こういう授業を一度でも体験した教師や子どもは、さらに授業を追及していく。楽しさこそ、そして教材とその分析、行動こそが追求の源だ。外山さんは赤い風船に出会った、ぼくらはその作品に出会い、そして外山さんや赤い風船の少女に出会えた。その出会いをどう見つめ・考え、どう行動するか・・・?授業作りの一点は、そこにつきると思う。
この授業以前から外山さんにはその著作で(例えば『エディターシップ』1975など)出会っている。1923年生まれの外山さん、当時58歳。老いてますます意気盛ん・・・。外山さんから、いまだに刺激を受けている。
オリエンテーションが終わった後、外山さんから「結構なものを頂き・・・」と、お礼状が届いた。オリエンテーションの日にマスクメロンをお土産に持っていったのだが、今考えると赤面もの・・・。また、「わたしの作品でオリエンテーションもいいが、たびたびは困る」というニュアンスの外山さんのエッセイを後日読んだ時、赤面どころか、顔から火を噴きました。
以上が、外山滋比古さんの家にお邪魔するまでの話です。
外山さん、その節は、大変失礼致しました。
(完)