NO 1638 ぼくとお酒とワタルちゃん―フォークシンガー高田渡との26年(5) 2012.10.17
エピローグ
夕暮れに あおぎ見る
輝く 青空
日が暮れて たどるは
我が家の 細道
狭いながらも 楽しい我が家
愛の月影のさすところ
恋しい家こそ
私の青空
(詩 堀内敬三 曲 ドナルド・ソン)
「ワタルは自分で自分の生命を縮めたんだよ。見栄っ張りでさ、カッコつけすぎなんだよ」
高田渡の葬儀が伊勢屋近くの教会で行われ、まずは伊勢屋で一次会、二次会はライブハウス『のろ』・・・。みんな延々と六時間くらい飲んでいる。
くだんのセリフは、加川良。
※ 加川良
1947年滋賀県生まれ。1970年第2回中津川フォークジャンボリーで『教訓Ⅰ』を引っさげて飛び入り参加。一世風靡。現在も自己の音楽スタイルを探求している。
「京都で会った時は、酒もタバコもあまりやっていなかったんだ。俺が『タバコなら缶ピーだよ』って言ったら、次の日にハイライトをやめて缶ピーを吸ってるんだ。無理してつっぱんなきゃよかったんだよ」
2005年4月18日カトリック吉祥寺協会で行われたお別れの会には、身内だけという話だったけれど、たくさんの人が集まった。弔辞は、故筑紫哲也。佐久間順平がぼくをみつけて、号泣・・・。「木幡さん、渡ちゃんって幸せな生き方だったよね。本当に幸せな生き方だったよね」二人で号泣・・・。
佐野史郎、大杉漣、遠藤賢司、西岡たかし、中川五郎、三上寛、大塚まさじ、坂崎幸之助、なぎら健壱・・・。渡ちゃんと親交があった多数の人々の賛辞の中で「でも、どうしようもない親父だったことも忘れないで下さい」と、漣君・・・。偉大なミュージシャンとしてだけ峻立していくことに釘を刺す発言に大爆笑!
26年の長きにわたる渡ちゃんとのお付き合い。酒を飲むことを教えてもらった。それは、嗜むという領域をはるかに超え、あおる・・・。何かに憑かれて飲まざるをえない人々の悲しさ・・・。そういうことを教えてもらった。
パウロ 高田渡 2005年4月16日 帰天。
たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。
(ハバクク書二章三節)
(終)