NO 1636 ぼくとお酒とワタルちゃん―フォークシンガー高田渡との26年(1)
プロローグ
一度も逢わないことだってある
すれ違いすらしないことだってある
渦巻くグラスの中に浮かんでいる
自分が見えるのはいつの日のことか
気がつかないで通り過ぎていくのが一番いい
出会った時が一番いい
いつか目が覚めない朝を迎える時がくる
永い夜は短い朝に逢う為にいるのか
通りには思いのかけらだけが散らばって
また新しい朝を迎えている
一度も逢わないことだってある
すれ違いすらしないことだってある
(『いつか』詞・曲 高田 渡)
こぽこぽこぽこぽ・・・、という音で目が覚める・・・。
2005年1月、山梨県勝沼町の宿坊・大善寺の早朝・・・。昨夜、しこたま飲んで酔いつぶれてしまった。ぼくが主宰する授業づくり集団『BASIC』の合宿の朝・・・。こぽこぽこぽの正体は、やはり、酔いつぶれて炬燵の中で眠ってしまった高田渡が湯のみ茶碗にワインを注ぐ音だった。
高田渡、いや ワタルちゃんには何度ライブに来てもらったことだろう。
「ワタルちゃん、今度、合宿するから歌いに来てくれない?」
「いいよー!」
「ワタルちゃん、学校の生徒の前で歌ってくれない?」
「いいよー!」
こぽこぽこぽこぽと注いだワインをぐいっとあおり、「センセ、センセ達は今日これから、何をやるの?」
「はり絵のワークショップだよ」
「はり絵かあ・・・、じゃあ俺はもう少し眠るから・・・」
しばし、眠った後、むっくり起きだし「おれもはり絵をやってみるか・・・。まあ適当にやればいいんだよね」
ちゃちゃっと仕上げたはり絵は、額装されて、今、ぼくの部屋の壁にかけられている。
こぽこぽこぽこぽの朝から三ヶ月後の4月16日、ワタルちゃんは逝ってしまった・・・。
ワタルちゃん、高田渡については、いろいろな人が語り、書いている。また、彼の生い立ちについても、彼自身が書いている。
※『バーボン・ストリート・ブルース』高田渡 2001 山と渓谷社
ここでは、今まで誰も語らなかったワタルちゃんのことを書いてみよう・・・。
ワタルちゃんとぼくの共通項、お酒を媒介にしながら・・・。
2005年4月16日、日本フォーク・シーンの中で異彩を放ったひとりの男、高田渡が天に召された。60年代後半から70年台に続く高度経済成長を経て、浮かれまくった80年代、そして90年代後半に訪れたバブルの崩壊、21世紀をまたぐ形で変貌を遂げていくIT、時代時代で価値観がどんどんねじ曲げられていく中、ひとり変わらず、全国の街でギターを抱え歌い続けた男がいた。それが高田渡である。
オールド・タイムなギター伴奏に、皮肉めいた詩を乗せ、冗談交じりに飄々と歌う姿は、酔いどれの吟遊詩人さながら、飾らないその風貌はあたかも仙人のようであった。古く からのファンは当然その魅力に心酔していたわけだが、2004年公開の映画「タカダワタル的」を筆頭とした再評価ブームにより、その音楽と生き様が、ここにきて注目を集めることになったのである。彼の歌の中にある核心触れると、皆、それぞれに、本当に必要なものは何か、ということを考える。その普遍性は、ジャンルや世代を超えて伝わる力を持っているのだ。享年56歳、この世を去った高田渡が残したものとは何だったのか?
(季刊「アコースティック・ギター・マガジン」27号 2006.2)
(続く)