デイリーフレネ

NO 1644 時代の中のあなた―見えないものを見るために、そして遠くまで行くために・・・(3) 2013.04.11

一昨日は教え子と痛飲!三人で、あっという間にボトルを三本空けてしまいました・・・。

雑文の続きです。

 

Part 2 アノラックとカボチャと塩むすび―貧しさを知った・・・

 

 もう少し時代を遡ってみよう。ぼくが生まれた1949年(昭和24年)は、まだ戦争の爪あとが残っていた時代。そして、朝鮮戦争の特需があったにせよ、小学校入学当時は、まだまだ、貧しかった。

 

父親の職業は獣医師で周りはほとんど農業。しかも、戦後の開拓農家が多かった。ちなみにぼくが入学した小学校は、学年2クラスか3クラス、1クラス50人の編成だった。ぼくは覚えていないのだが、小1の担任だったT先生曰く、「遠足のときバナナを持ってきたのは、木幡君だけだったんだよ」

そうか、まだバナナの輸入は自由化されていなかったんだ。ハレの日にしか口にできない食べ物・・・。そのころのぼく達の食に対する思いは、マルハか日水の魚肉ソーセージを丸ごと1本食べることだった。

 

開拓農家は、市街地から離れた山間部が多い。遠距離だったので通学が困難な子どものためにぼくが通学していた小学校には、分校が二つあった。一つは、小学6年生まで、分校。もう一つは、さらに遠距離だったので中学1年生まで分校だった。通学区域の境界線に住む子どもは、本校か分校への通学が任されていた。冬の通学が大変だったと思う。

 

今でも鮮明に記憶に残っている光景がある。小学校2年時、ある大雪の日、2時間目が終わる頃、開拓農家のKさんがお母さんに連れられて登校してきた。

外は、さんさんとボタ雪が降っているので、着ている布製のアノラックは雪が凍り付いている・・・(北海道では雪が降っても傘をさす習慣がない。気温が低いので、手で払うことができるのだ)。

 「Kちゃん、こんな雪の中、よく来たなあ。寒かったろう。さあ、ストーブのそばで当れ、当れ」

担任のT先生が石炭ストーブのそばにKちゃんを連れて行く。雪が溶け、アノラックから湯気、そして、すえたにおいが漂う。慈愛に満ちたKちゃんのお母さんの眼差し。ああ、Kちゃんのお家、大変なのかなあ・・・、こんな雪の中、すごいなあ。ぼくは、見てはいけないものをみたような恥ずかしさを覚えた。

 

中学2年時でも強烈な思い出がある。

1から本校に来ているN君。秋になってしばらくしたある日、N君の顔がだんだん黄色くなっていく。同時にN君は、ぼくを避けるようになっていった。

クラス、学年を良く見てみるとN君のように顔が黄色くなっている仲間が何人もいるのに、気がついた。

「あいつら、米が食えないもんだから、毎日、カボチャばっかり食うんだよ。だから、顔が黄色くなっていくんだよ」

蔑みの目で吐き捨てるように言う教員の息子のM君。この時、生まれて初めて階層、あるいは階級という概念がぼくの脳裏に浮かんだ。そして、優等生のM君を恨んだ。

(だから、どうだって言うんだ。顔が黄色いことのどこが悪いんだ?)

 

同じような思い出がもう一つ。春の遠足は、毎年恒例、金比羅山の花見遠足。

楽しい弁当の時間、同じ班のO君と並んで、おにぎりをほおばった。O君は、中2から本校に来た仲間だ。O君、握り飯を包んでいる新聞紙はがすのに四苦八苦している。

「どうしたの?何してんの?」

「いや、海苔がなかったから新聞紙でそのまま包んできたんだよ。そしたら、新聞紙がくっついて、はがれないんだよ。面倒くさいからこのまま食べるべ」

「おれのおにぎり一個食えよ。おれ、こんなに食えないから」

「大丈夫だ。新聞紙を海苔だと思えばいいんだから」

 屈託のないO君との会話に二人で大笑い!

 

しかし、考えてみるとよくわかる。これは、笑い話ではない。家に海苔が無かったのではなく、海苔が買えなかったのだ。例え買えたとしても、店まで行く時間的余裕がないほど、両親は、働いているのだ。節くれだった0君の手を見ると、彼も労働していることがよくわかる。

 

北海道には内地のような部落差別はないというが、戦後、開拓民として入植してきた人達とそれ以前の道民とでは、歴然たる差別意識があることを学んだ。小学校から中学校にかけて、はっきりと学んだ。

 

以来、ぼくは優等生になることを拒否しつつ、劣等感を持たない生き方を求めていく。教師にも随分反抗した。そういうにおいを感じたのか、ぼくの周りには、どこか外れているやつばかりが集まるようになった。

 

数年前の同期会、O君の消息を聞いた。

「あいつはよう、家の仕事をついで頑張ってたんだ。ここにも来る予定だったんだ。だけど、五日前、大木をチェンソーで切っていて、倒れてくる木をよけ損なって、木の下敷きになったんだよ。それっきりだ。死んじまってよ・・・。みんな離農していく中で、あいつだけが残ったんだ。あいつ、楽しかったことなんて何一つ無かったたんでないかい?かわいそうだべさ」

 

45年前の屈託のない笑顔のO君・・・。嗚呼、無情!ほとんどが離農していくなか、時代の移り変わりに乗らず、ただ一人、彼の地にとどまった生き方に幸あれと祈った・・・。

 

一度も会わないことだってある
すれ違いすらしないことだってある

渦巻くグラスの中に浮かんでいる
自分が見えるのはいつの日のことか

気が付かないで通り過ぎていくのが一番いい
出会った時が一番いい

いつか目が覚めない朝を迎える日が来る
長い夜は短い朝に会うためにあるのか

一度も会わないことだってある
すれ違いすらしないことだってある

 

(『いつか』詞・曲:高田渡)

 

                         ―続く―

 

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