NO 1643 時代の中のあなた―見えないものを見るために、そして遠くまで行くために・・・(2) 2013.04.09
Part 1 みんな不良に憧れた―青春デンデケデケデケ
「木幡、ビートルズって知っているか?すげーよな!昨日の『北海道26時』でやっていたビートルズの『のっぽろサリー』いいよなあ!」
※ 1967年当時の北海道では、東京のラヂオ電波が届かなかった。北海道放送(HBC)の『北海道26時』が唯一の深夜番組だった。
のっぽろサリー?北海道の札幌の隣に野幌(のっぽろ)という地名はあるが、ビートルズが野幌のことを歌う のだろうか・・・?後日、その曲は、『のっぽのサリー』ということが判明し、友人と大笑いしたことがある。それにしても『野幌サリー』か・・・。
ビートルズもさることながら、当時のぼく達はベンチャーズや寺内タケシとブルージンズの「テケテケテケテケ・・・」というエレキに夢中だった。日曜日の12時45分から1時15分までの30分間、『エレキ勝ち抜き合戦』という番組が翌日の教室で必ず話題になった。エレキを操る奴は、まさにヒーロー!学園祭や卒業生を送る予餞会では、必ず数組のバンドが出演した。
かたや、もう一方にはピーター、ポール&マリー(PPM)の『悲惨な戦争』に代表されるアメリカンフォーク、プロテストソング・・・。構図としては、エレキギター=不良、フォーク・ギター=真面目というところか?
「エレキなんか不良がやるもんだ!」と、世の大人はなかなか理解してくれなかった。つまり、新しいもの、今の状況を否定するもの、とにかく大人に理解できないもの、不安におとしめる物・・・、それらすべてを大人=権力者は否定したがる。
これについてこの当時から青春デンデケデケデケしてきた寺内タケシ(74)は次のように述べている。少々長いが、重要なので引用しよう。
(前略)
エレキは不良の温床だから、買えば停学、バンドを組めば退学、なんて時代があった。高校生である子どもたちは、そんな大人たちを信じなかった。そこで、ふざけるな先生さんよ、教育委員会のお偉いさん方よ、と俺は立ち上がった。子どもたちに、信じられる大人もいるぜ、と示してきたつもりだ。そのときの子どもたちが、いまの大人さ。おい、俺は、おまえらに言いたいことがある。
おまえらは、子どもたちに信じてもらえる大人になったのか、コノヤロー。
――その憤りの理由とは?
学校も家庭も地域も、つまり、いまの大人たちは、いじめを見て見ぬふりしているだろ。生徒が自殺に追い込まれても、「いじめとの因果関係はわからない」なんて、よく平気で言うよな。
子どもは、おまえらを見ているぞ。子どもだった昔のおまえらのようにな。
分かるだろ、おまえらは、子どもにまったく信頼されていない。情けないじゃないか。おまえら、覚悟を決めろよ。子どもに、きちんと手を差し伸べろ。注意すべきときは、ちゃんと注意しろよ。
いじめは最低、恐喝は犯罪、していいのはケンカだけ。そういう基本を、きちんと教えろよ。
いまのまんまだと、エレキを頭ごなしに禁止した昔の大人と、おまえらは同じだぞ。
―『人生の贈りもの』(4)朝日新聞夕刊 2013.3.7―
エレキの時代は去った。エレキを弾く奴は不良と呼ばれた時代も去った。
しかし、寺内タケシが言うように、大人の頭の構造は、なーんにも変わっちゃいねえ!ぼくは、すでにじじいだが、そんなじじいになっちゃいねえ!
―続く―