NO 1571 流れ流れてばっくれて、いろんな価値観知りました(3) 2010.9.28
PARAT 2 学校コミューンの限界
大学に復学しても週四日はアルバイト(すでに結婚し子どもがいました)。残り三日は大学に行き、麻雀で小遣いを稼いでいた。この時期、創刊間もない教育誌『ひと』を発行している太郎次郎社のアルバイト(アルバイト第1号だった!)を経験したことがその後の人生を変えた。
そこに集まる人達のなんと若いことか!いや、若さを年齢で語っているのではない。数学教育協議会創設者の数学者・遠山啓(教育誌『ひと』の創刊者、編集責任者でもあった)、仮説実験授業研究会代表の板倉聖宣、水道方式の神様・岡田進、社会科の授業を作る会代表の白井春男、「井の中から大海を撃つ」と豪語していた徳島の小学校教員・新居信正、その他もろもろのなんと若いことか!今を充実して生きているということは、人をこんなに若くするのだということを初めて知った。人をこんなに若くする教育という仕事を再認識し、小学校教員を目指そうと思った。教育学科に籍を置いていながら、なにもわかっていない若造だったのだ。
二ヶ月間だけ教員採用試験の過去問に取り組み、北海道、東京、埼玉の小学校教員採用試験に合格した。結局、埼玉県岩槻市(現さいたま市岩槻区)の新設校に配属されたのだが、今でもよく採用されたと思う。
採用年から主任制が実施されるのだが、面接で「主任制をどう思うか?」という愚かな質問を教育長が出してきた(政治的問題を質問すること自体おかしいことだ)。とうとうと反対論をぶって(こりゃあ不合格だな)と思っていたのに、実に以外なことに合格(経験則だが大学1年から黙々と教員採用試験にそなえて受験勉強していた連中は、軒並み不合格だった。今は、そのことがとてもよく理解できる)。
しかし、現実の学校現場はひと誌に集まるような実践的教員は、皆無だった・・・。
新採用で4学年(4クラスあった)に配属され、最初の学年会でいきなり市販テストを手渡された。市販テストに頼るということは、市販テストの求めている学力観に自分の授業をゆだねることになる。「これは、どうしても使わなければいけないのですか?」
・・・沈黙。
「もう、買ってしまったからねえ・・・」
「そうですか。では、1学期間だけ使ってみて、その後使うかどうかは、ぼくが判断してもよろしいでしょうか?」
・・・沈黙。
「まあ、1学期だけ使ってみて判断して下さい」9月から、ぼくのクラスだけ市販テストを使用しなかったのは、言うまでもない。
とにかく、学年各クラスが歩調を合わせなければすまないのが学年共同体だ。高いレベルで歩調を合わせるのならまだいいのだが、もっとも低いレベルに歩調を合わせなければならないのは、相当のストレスだった。
教科書を使わないで全ての教材を自主プリントで行い、その内容を毎日学級通信で保護者に報告するぼくに、まず、わら半紙を大量に使う教員がいるというクレームが職員会議に出てくる。自腹を切るぼくを応援してくれたのは、事情を察した保護者だった。わら半紙やガリ版のインクなど会費を集めて出してくれた。当時、珍しかった学校間交流に難色を示した校長やPTA会長に談判したのも保護者だった。「これは木幡先生の責任で行うのではなく、私達親の責任で行うものです」と・・・。
年に何回かある授業研究会。『重さ』の授業を行う教務主任が「重さなんてはかりの目盛りが読めればいいんだからねえ」と笑いながらつぶやく。
「それは、違うんじゃないですか?」
ぼくの発言に学年会は凍りつく・・・。この時の長い沈黙は、それ以後経験したことがない。
そういえば、教育実習の時、「君の指導は教科書通りではない」と指摘された算数主任に「それはあなたが間違っている」と反論し、けんかになりそうになったもんなあ・・・。
とにかく怖いもの知らず。算数のサークルを作り、保護者とともに算数の話をする。
わがクラスだけ子ども達が自己評価する各教科の評価表を作る。週末は、スポーツ大会やハイキングを企画する。各種研究会には自腹で出る。これを三年間続けていたら、それまで研究会で聴く側の人間だったぼくが、いつの間にか話す側に変わっていた。それほど教員はお勉強しないんです。
とどめはこれ。ある夏休みの終了間際、「教材研究がうまく進まなかったんですよ」というぼくに、ベテラン教員が一言。「そんなもの誰もやらないよ」
愕然!学校という旧態依然としたコミューンの限界を知り、学校という価値に疑問を持ち始めていた。
公立学校4年目を迎えようとしていた三月末、三鷹の明星学園から「教員として働かないか、今すぐ返事がほしい」という電話が学校にあった。遠山啓先生の推薦だということで5秒間だけ考えて、明星学園に行くことにした。三月末という時期、人事も決まっているから校長もいい顔しないだろうと報告すると、嬉しそうな顔で「ああ、そう」
ぼくは、公立学校からばっくれた。
価値観の押し付け―その2 S君の詩(1977.12.9)
『もう 冬』
北風がけんかし
ガラスまどをひっぱたく
朝 庭にしもがおりて
木立ちが寒そうだ
ぼくは
ふとんから出るのがつらい
でも 雪がふると
雪だるまができて
冬が終わると
ぼくは 10才になる
※ シンプルで大好きな詩だ。子どもの詩は添削しない。
―続く―