デイリーフレネ

NO 1576 ぼくの好きな教師 2011.4.18

今から相当前の話・・・。ぼくが30代前半の頃だから、30年前のことだと思う。分裂以前の日教組全国教研第4分科会(算数・数学)の東京正会員に選ばれ、高知に赴いた(広島だったかもしれない?)。

 

ぼくは、反文部省の旗を掲げる数学教育協議会(数教協)に所属していた。当時、数教協

は『わかる派』と『楽しい派』が存在していて、シビアな論戦が繰り広げられていた。分科会が終了したある日、「木幡君、『楽しいだけでいい!』なんて言っているやつがいるので懲らしめてやろうと思うんや。一緒に来いへんか?」と大阪の実践家K君とY君に誘われ、喫茶店へ。

 

話があれこれ進んで、「木幡君は、どう思うんうや?」と話が振られ・・・。やっつけてやろうと誘われたにもかかわらず、寝返ってしまうのだった。その時の『楽しいだけでいい!』教師が神奈川湘南教祖の中学校数学教師・矢定洋一郎である。意気投合した二人は、以来、長い付き合いとなり、ぼくは共同研究者として湘南教研に30年通い続けることとなる。

 

その後、矢定は、『楽しいだけでいい!』→『数学なんてどーでもいい!』→『学校なんて行かなくていい!』という忌野キョーシロー的過激路線へとシフトしていく。『算数・数学分科会』→『登校拒否分科会』・『障害児教育分科会』へのシフトと言ってもいい。

 

そもそも、わが師・遠山啓は『障害児教育』を『原教育』として位置づけたが、フラジャイル(はかなきもの)の視点に立つことから見えるものを意識化した現場の中学校数学教師は、矢定が始めてではなかったか?

 

その矢定も定年退職し、36年間の教師生活を総括した読み物(実践記録的でないのがいい!)を上梓した。

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教育書として読むより物語として読んで下さい。数学から登校拒否問題・障害児教育にシフトしていく軌跡がよくわかります。転がる石のように生きてきたんだね!

 

※ 『学校嫌いのヤサ先生 連戦連笑』 矢定洋一郎(績文堂)1995円

 

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