NO 1653 小説『記憶』という名のあなたをたずねて(2)
小説 『記憶』という名のあなたをたずねて(2)
―北野 洋(きたのひろし)の記憶と希望
Part1 一番古い記憶―父との蜜月
誰にでも記憶はある。往々にして、都合の悪い記憶や思い出したくない記憶は無意識のうちに忘却の彼方に葬り去られるようだ。北野も思い出すのは、懐かしい情景だけにとどめている。生まれ故郷の北海道北見市・・・。
写真を撮るのが好きで暗室まで持っていた北野の父は、ことあるごとに長男である北野の写真を撮ってアルバムを作っていた。そこにある写真は、確かにそういうことがあったのかもしれないという残像として残っているのだが、記憶に定かではない。そこにあるのは、父の記憶のアルバム、固定されたプリント・・・。行為や感情が呼び起こされない断片・・・。
【北野の一番古い記憶―おそらく】
父のオートバイに乗り、北見市の映画館に行く。映画館の名前は有楽座だ(有楽座という名前の意味を知るのは、大学入学で上京してからである)。
何故、二人きりで映画を観に行ったのかは、わからない。時刻は、夜。季節は恐らく夏に違いない。北海道で子どもをオートバイに乗せて移動するには、夏しか考えられない。三つ下の弟が生まれたのは8月12日なので、お産の前後の慌ただしさからぼくを連れ出すために映画を観に行ったのだろう。そうすると、ぼくの年齢は3歳という事になる。
映画のタイトルと内容は覚えていない。ただ時代劇で当時の人気コメディアントニー谷がお得意の五桁ソロバンをチャカチャカ鳴らしていたのは、鮮明に覚えている。
観客は少なく、禁煙のサインがあるにも関わらず、多数がタバコを吸っている。
当時の事だから2本立てか3本立てだったのだろう。幕間に父がこう言った。
「洋、お父さん、アイスクリームを買ってきてやるから、ここで待っているんだぞ」
しかし、次の映画が始まっても父は戻ってこない。時間の感覚がわからない。
心配になったぼくは、父を探してロビーに出る。ロビーや売店、トイレを探しても父はいない。とうとう、泣き出してしまった。
「ぼく、どうしたの?」
もぎりのお姉さんが声をかける。そう、いつだってぼくが困った時には、正義の味方が現れるんだ!ぼくは、父がアイスクリームを買いに行ったまま戻ってこないことを泣きじゃくりながら訴えたに違いない。お姉さんは、ぼくの手を引き、懐中電灯片手に劇場内に入る。日常世界と異界を橋渡ししてくれるお姉さん・・・。
「洋、どこに行っていたんだ?」
父が優しく尋ね、お姉さんにお礼を言う。ぼくは、アイスクリームを食べる。
父はとても厳しく、怖いというイメージしかないのだが、この時も含め北野が小学校1年生くらいまでは、よく遊びにつれていってくれた。木製模型飛行機を作ってくれ、そのことをぼくは、作文に書いた。『ぼくのミゼット号』!学校文集に掲載されたぼくの作文を嬉しそうに読んでいた父の姿が目に浮かぶ。
それ以来、父との交流の思い出は記憶にない。都合が悪いことは、無意識的に忘れているのだろう。最後の父との交流は、1968年大学の夏休み、帰省した時の光景。父のなじみのこぎれいな飲み屋に連れられて行った記憶だけだ。
「いやあ、これは、長男でね。東京の大学に行っているんですよ」
嬉しそうに飲み屋の女将に話す父。この時初めて、ウイスキーのボトルキープがあるのを知った。北野19歳の夏・・・。
それ以来21年、父の記憶はない。大学をドロップアウトした北野は、以来、父がクモ膜下出血で急死するまで、実家には足を踏み入れなかった。父北野雄朔、67歳にて死去。
(続く)